勘違いをしていても、偶然でも、できると思っている人間の最大値は大きい。
謙虚な態度を取るのは、人間同士の摩擦を減らす上で、重要であるが
自分自身をわきまえ過ぎる事は、自分の最大値を下げる事になりがちだ。
ただ、自分をわきまえない人間は失敗する可能性が高い。
そして安定を望みにくい。
子供が自身で、これを選択するのは至難であるので、親の教育方針という事になる。
リスクを考えずに、甘やかし、最大値を期待した教育を施した結果
現実とのギャップに耐えられない、軟弱な人間が育つ可能性は高い。
これが引きこもりや、ワガママな人間を作り出したのだろう。
次に、上限をつぶしてまで自分をわきまえて育ってきた人間たちが、そういうワガママな人間を嫌って、自分はロクな生産性のない人間であるのに関わらず、自分が法律や道徳を守るような真面目な人間である事を盾に、ワガママな人間を叩く人種も増殖した。
叩く事に意味がない叩きは、自分のストレス発散でしかない。
非常に人間的であると同時に、人間として下衆な行為だと思う。
本当は、上限値をあきらめる事と、社会適応力を上げる事は本来は全く違う。
面倒な事を、一緒くたにして考えるのが一番よくない。
難しい事は、簡単にできないから、難しく考えるしかない。
その能力がない人間はその運命に従うしかない。
勉強する機会はほぼ全員にあると思うが、やるかどうかはまた違う。
教える人は、教わる人の2倍以上勉強しないと、教育は成り立たない。
簡単に簡単にしようとするのは、人間の脳のメカニズム上、そうなっているから仕方ないらしい。
だから努力して、どうでもいいまとめ方をしないようにしないといけないと思う。
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