知能レベルの低い生物は、感情が少ない。
これは高すぎる生物もそうかもしれない。
世の中、最大と最少は同意義であると思う。
常にウロボロス状態であると考えて間違いないと思う。
微小な生物は自分の意志というよりは本能のみで生きている。
私のあくまで推論だが、不安や痛みを感じる事がないので、一瞬一瞬の全てが幸せであり
結果として、常に幸せに暮らしていると思う。
またアリくらいの大きさだと、殺されても、そんなに自分の存在自体を特別視して
感じて生きていないので不幸せになったりしないと思う。
自分の脳を、ある程度麻痺させて考えれば、なんとなく想像がつく世界ではある。
幸せなのか不幸せなのかを理解できないという意味では、赤ちゃんも似た脳なのかも
知れないと思う。
不自由を感じたら泣くが、それによって不幸せを感じている訳ではないと思う。
知能レベルが低い人が、知能レベルが半端なく高くなった事を想像すると、自殺するしか手は残ってないんじゃないか?などと考えると思うが、私はそうは思わない。
コンピューターは性能を上げるとドンドンと限界まで仕事をするが、人間は面倒を感じると自動的にその情報を遮断したりする。
嫌な思い出を、一切思い出せなくなったりするのも、この機能からだろう。
高性能なロボットは自殺を選ぶかも知れないが、人間は高性能になればなるほど普通に見えるような気がする。
知能が高くなりすぎて、すべてを理解し、人間に絶望したとしても、それを卓越し、バカなふりをする事で自分が楽に暮らせるのであれば、知能の高い人間は、全てを理解した上で普通に暮らすという選択肢を選ぶ事が可能だと思う。
全てを知った上で普通に振る舞える。
これが仏教などの悟りの第一段階ではないかと思う。
レベルのコントロールができないとういう知能の高い人は、実は多少平均値より高い知能かもしれないが、匠の域には全く達していない気がする。
私は、勉強とか学習、修行と言う物は、かなり広範囲のレベルをマスターした上で全てのレベルに合わせる事ができるようになるのが、実はスタートラインのように思う。
そのまでのレベルのなるには、生まれ持った才能と、並々ならぬ努力が必要であるが、実は、そこで初めてスタートラインという訳だ。
そこまでいけない人は、お遊びというか、趣味の域だ。
すべての事にそれは言えるような気がする。
自分が生きている事で、自分が酸素を吸入し二酸化炭素を吐く事で、自分が食べ物を食べて排泄物を出す事で、自分がくだらない信念を突き通す事で、自分が弱音を吐く事で、
どれだけの人間が迷惑しているのか?
どれだけ嫌な思いをする人がいるのか?
それを理解し、かみしめた上で、その世界で図々しく、ズ太く生きる。
迷惑をかけまくり、恥をさらしまくり、それでもこの世界に君臨する。
それが、まずは人生を知る事の第一歩だと思う。
物事から逃げない。
どんなに悲惨でも、痛くても、エグくても、きちっと物事を正面から捉えて、逃げない。
次には、それに向かって真相を探求する。
それに耐えうる心を作る。
で、全てを理解した上で、どのポジションでも生きられる自分を作る。
まずは、これができて、スタートラインじゃないだろうか。
勉強ができない。世の中の事があまり理解できない。
言ってる事が良く分からない。自分の気持ちが一番優先してしまう。
こういう人は正直、頭が良くないとは思う。
ただ、頭が良くないから、理解できないのではない。
それ相応に理解の点は存在する。
努力と根性の問題だと思う。
メンタルを鍛えるのは、体を鍛えるのと同じで、簡単ではない。
車のエンジンとかと同じで、大排気量の車は高性能で早い場合が多い。
ただ全体の重量や、効率によっては、小排気量にも勝算はある。
それどころか、小型車にしかできない芸当だってある。
エンジンの大きさも一長一短あるので
自分の持てるポテンシャルを如何なく発揮できれば、十分に勝負になる。
また毎日メインテナンスしている車は事故や故障を起こしにくいし
また、複雑なシステムであればあるほど故障しやすい。
何も考えない気楽で馬鹿な生き方をする為には、利口になる必要があるのは明白だ。
自分の感情が一番大事だと、喜怒哀楽が激しく、幸せな時と、不幸せな時の差が大きい人生となる。そして得手して幸せな時と言うのは時間の経過と共に忘れやすいので、不幸な事ばかりが蓄積される。
利口でないと、自分のポジションを変更して考えられない。
幸せになりたいと思う人は、自分自身やその取り巻きの人生を、時空軸、空間軸、考える対象の人物を変えてマルチモニター化してみれるように、一生懸命に勉強したらいいと思う。
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