人によって価値観が違うのは当然だ。
1億円もするダイヤの指輪が単なる石ころって思う人だっているかも知れないし
大量殺人の犯人を誰よりも尊敬する人だっているかも知れない。
自分と全く違う価値観の人間と遭遇した時、多くの人は興味を持って、どうしてそんな変な事を普通に思うのかを聞いてみたくなったりする。
しかし、自分がどうしても許せないコダワリの事が正反対だと、生理的に受け付けない場合だってあるだろうし、最初から人格否定をしてしまって、聞く耳すら持ちたくないというケースも存在するだろう。
その嫌悪感というのは、自分の理解を越える人間の存在を認めたくないという恐怖感から生まれるものだと思う。
だから、反対意見の人たちに、憤り、怒り、相手を貶し、貶め、相手が自分より下等な存在であると思いたいのだろうと思う。
自分と違う価値観の人間を論破したところで人生には何も変化はない。
ただ自分の方が正しいという自己満足に満たされるだけである。
一般的である事=多数意見であり、味方が多く、支援されやすい。
それは大きな盾にはなるが、人生においては何の指針でもないと思う。
それより、私がもっと重要だと思う事は、どこまで相手の価値観を理解できるか?という事だ。
たとえば
『首長族では、クビが長い程、美人とされています』
という情報を聞いて
『へぇー、そうなんだ。変わった人種がいるなぁ』
と、考える。
これは、最低レベルの理解であると私は思う。
何も興味がない事に無理に、首を突っ込めと言っている訳じゃないが
もし、本当に首長族の価値観を理解したければ
『こいつらは、そういう特殊な人種』
だと、分類分けして、脳に叩きこむだけでは不十分だと思う。
まずは
『どうして首が長い方が美人に見えるか?』 を調べてみる必要がある。
その理由を多くの首長族から聞いて、その感情のメカニズムをまずマスターする。
そして、本当にきれいだと思っているのか?という本音も調査する必要があるだろう。
本当は
『おかしいとは思うが、大事な伝統だし、収入源にもなっている文化だ』
なんて思っているかもしれない。
ただ、昔に遡れば、当然、それなりの事が見えてくる。
そして、その境地に入り、実際に、首の長い女性を見て、美人だと自分自身が感じるレベルに達っしたら、初めて、理解の入り口の立つったと言えると思う。
これらの事は、日常生活でも言えると思う。
自分以外の価値観や感情などは、非常に理解しにくい。
でも、本気で相手の事を考えて、その価値観を理解できるように、相手の人間が0歳から何を学び、何を楽し、何を会得し、何から逃げているか、全てを順を追って理解していけば、近いところまでは
辿り着けると思う。
それが本当の意味で、相手の価値観の理解という事ではないだろうか?
首長族の首の長い女性を見て、”きれいだ” と、どうやっても思えないという人は、相手の価値観を理解する能力が低い人間だと思う。
おそらくは、『へぇ、そういう世界があるんだ。』などと、自分の価値観からでは想像できない世界を遠ざけて暮らしてきた人だとも言えると思う。
言葉だけでは、その価値観に達する事は当然、不可能であり、文化や歴史、言語、ライフスタイルをすべて学んで初めて理解の入り口に差し掛かるのだと思う。
私も全然、完璧ではない。
ただ、理解できないような価値観でも、その中に入っていって理解しようと言う努力はいつでも惜しまない。
私はまだまだ全然だが、世界中の人々が、こういう努力を惜しまなければ、それが世界平和の第一歩のように思う。
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