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2011年10月16日09:58

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山下家�� No.6

今回は篤との出会いの話を。



篤と初めて会ったのは、高校2年の時に、バンドの練習帰りのアーケードだった。

スタジオでの練習が終わり、アーケードに出た瞬間に、すごい服のすごい髪型のヤツを見かけた。それは時代錯誤甚だしいというか、タイムスリップしたというか、そういう感覚だった。

自転車に乗ってすごいスピードでどこかに行っている集団がいた。
5〜6人だっただろうか。

その先頭の人間は、竹丸ヘアーをしていた。(当時はブッコミの拓はまだ無かったので、彼の方が先駆者か)、竹丸ヘアーが分からない人は、氣志團の翔か、バッドボーイズの佐田を想像してもらったら似た感じだ。

そして、片方のズボンに2〜3人が入れそうなドカンに、足首までの丈のヨウラン、ツメエリの長さは、ゆうに耳たぶを越えていた。

イメージで言うなら、湘南爆走族の江口みたいな感じだ。

ちょっと、やりすぎやな、こいつ! などとボーっとそいつを見ていたら、相手もこっちにガンを飛ばして来る。

面倒くさい、また喧嘩か。そう思いながらも、一旦、合ってしまった目をそらす事はできない。
それがヤンキーの性。笑

しかし、その派手な学生服を着たグループはすごい勢いで、そのまま前を通り過ぎた。

ああ、よかった。内心ではそう思った。


実は、その派手な学生服の少年こそが、篤だったのであるが、その時は知る由もない。

後で知った話だが、篤はその時、友達から喧嘩やから参戦してくれ!と電話があり、みんなで駆けつけている最中だったらしく、他で喧嘩してる場合じゃないと思って、通り過ぎたらしい。


次に篤とモメたのは、同級生のヨウコウが、体育祭で鳩を飛ばす為に公園で鳩狩りをしていた時に、『おい、かわいそうやろうが?』と言ってインネンをつけてきたのが篤だった。

私は、その行事には参加していなかったのだが、これも篤から後になって聞いた話だ。


そんな感じのニアミスが何度か続いた。






退学になった後に、暴走族の連合あげての喧嘩があった。

その喧嘩は、乱闘騒ぎとなり、どれが味方やら敵やら分からない状態になった。
連合とか言われても、私が入ってから連合集会とかやってないので、各総長とか以外は誰が誰だか、私は訳が分かってなかった。


ただ私が入っていた走鬼という暴走族と、篤が入っていた月嘩微人は、土佐狂走連盟という、一つの同じ連合だったのは理解していた。笑


こっち側が、喧嘩相手の総長の頭蓋骨をカチわって入院させた事で収束の方向に向かった。
と、思っていたが、相手の総長が頭に包帯を巻いて大勢の暴力団をつれてきて、ややこしい事態になってきた。良くは知らなかったが、向こうは本職さんのご子息だったようだ。


暴力団は黒のベンツ3台くらいで、10名くらいきた。
どうやってケジメをつけるか、話しにきたのだ。

後にすごく仲良くなる、有名な右翼団体の家の息子であるシゲ君が、先頭に出た。(私は、この当時はまだあまり面識はなかった。)

私は長い鉄パイプやらを持った暴力団の集団に、すっかりテンション下がってしまったが、シゲ君は違った。

『僕が1人で事務所行ってケジメつけるき、他の関係ない子らぁ、帰ってかまんろ?』
そんな話をしていた。

暴力団はかなりスゴんでいたが、シゲ君は軽い笑顔で『そんなガイに(強くの意味)言わんでえいろ?』などとチャチャを入れていた。

すごい人だなと思った。

結局、騒ぎを起こした両方のチームの名前を変えるという事でなしがついたのだが、それもシゲ君が、1人で事務所に行ってさらに強気で交渉してくれたおかげだ。

シゲ君は、私の1個上なので、当時17か18歳だったはずだ。

この騒動の中で私は篤とかなり仲良くなった訳だ。




シゲ君は、あまりにも素行が悪いので、中学も地元の中学に行かせてもらっていない。
教護院の施設に行っていたそうだ。

その施設にいた人というのは、名前を聞いただけで、会いたくない人No.1リストに入るような人達ばかりだった。

シゲ君らは、こんな遊びもしていたらしい。
じゃんけんして、負けた人が、どこかの中学を指定して、1人でそこの中学のヤンキーを全員シバくというゲームだ。

その施設は悪すぎて、地元の中学には行かせてもらえなかった人ばかりなので、どこの中学でも狙えるという訳だ。

当時、名前の売れていた中学から順番に的にかけたらしい。

でも、やはり1人では、たまには負けてくるヤツもいたらしいが、それでもみんなで仕返しに行くでもなく、『あははははは、お前、弱っ!』とかって、笑いものにする材料にしかならなかったそうだ。

ちなみにシゲ君は負けなしと言っていた。
私のように、温室で育ったヤンキーとは、根性のケタが違った。





この事件の後から、私は家出をして、篤の家に泊まるようになった。

篤の家系もサラブレッドだったが、家族の事を書くと篤が嫌がるだろうから書かない事にする。




暴走族とは言え、高知の私の年代では、都会のように1000台集会などない。


普段の暴走は、多くても5台程度で、暴走と行っても、ツーリング気分だ。
台数が多いのは正月だけだ。

しかし正月でも、単車は少ない。
車は連合で100台とか200台とかはいたのだが、単車は多くても10台以下。

正月は他のチームも初日の出現場で一緒になるからたくさんにはなるが。

正月はやっぱり気合いを入れて単車に乗った。
正直、クソ寒い。大体、特攻服ってのが防寒してくれない。
下にトレーナーとかは着ているが、それでもやっぱり寒い。


検問があれば、まず、特攻の捨てる車で、体当たりして道を開ける。
そこに木刀とか鉄パイプもった単車で突っ込んで警察を蹴散らす。


警察も、懐中電灯を投げつけてきたり、長い六尺棒(鉄の棒)で殴ってくるので気をつけないと危なかった。今、警察がそんな事をしたら大問題だろうが、当時は警察との喧嘩って感じだった。





そういえば、一度、正月以外でも、かなり大きな事件があった。

それはある年のクリスマス暴走だ。

偶然にもその日5〜6チームが街暴走でカチあったのだった。


警察は、大きな幹線道路の東西を封鎖した。

当時は、街舞い(まちまい)という名前の、意味なく街を車や徒歩で徘徊する暴走族に属していないヤンキーがたくさんいたのだが、そういうギャラリーですごい人数となった。

広島で言えば、八丁左舞いって感じか。

その中で、とあるチームの数名が、警察につかまった。

ウチらのチームの奴らが、ポリバス(警察のバン)に突っ込んでいった。

なんと没収されて裏にとめられていた単車を回収し、さらに、逮捕されていたヤツも救出したのだ。


これには、観衆が沸いた!! ヒーローだ!

一斉にすごい台数の車や単車が反対車線とか関係なく、わちゃわちゃした状態になった。

その時、篤とウチのチームの連中が、陸橋の上から、下を通るパトカーにブロックを投げて、回転灯を破壊した。いや回転灯だけではない。屋根もかなり破損していた。

それをみて、ギャラリーがパトカーに投石しまくりだした。

おおお、まさにこれは暴動!!そう思った。


警察と喧嘩するヤツ、パトカーをひっくり返そうとしているヤツ、パトカーに石を投げつけているヤツ、関係ないところでギャラリー同士で喧嘩しまくっているヤツ。

まさに、お祭り騒ぎ。


この暴動に乗じて、暴走族は一気に退散した。

次の日の地元の新聞には、かなり大きく乗っていた。


だが逮捕されたのは、街を徘徊していたヤンキー連中だけで、暴走族の検挙はゼロだった。
高知県警形無し。俺ら、してやったりの事件だった。


一応、書いておくが、パトカーを壊したりするのは、悪い行為だから、絶対にしてはいけない。笑








この当時は、パトロールという名目でしょっちゅう夜の街にいた。
色んな事がありすぎて、思い出せない。


通りすがりのヤンキー車に勝手に乗り込んで、『この車タクシーやろ?○○まで行ってや』などという非道な行為もした。


篤と2人でベンチに座って、街を徘徊する車を見ていたら、女の子が3人くらい乗ってる車が、こっちを見て、『きゃーーーー!かっこいいーーー!!』などと、こっちの手を振って黄色い声を上げていた。

運転していた女の子までがぎゃーぎゃー言ってたので、篤が『おおい、あぶないぞ!』と言った。

その瞬間に、どーーーん!! と、前の車に追突!!

篤は

『美しいという事は、それだけで罪やにゃー』などと言っていた。笑








私は高校は卒業してないが、卒業式には学校に行った。
みんなの晴れ姿を見に行ったという訳だ。

高2の途中で東京にいったのだから、一時帰郷と言った所か。

打ち上げでベロベロに酔っ払って、喧嘩になった。
相手は10人くらい。こっちは酔っ払い1人。

ボコボコにされた。

下にコンクリートが付いている鉄製のチラシ入れが街にはよくあると思うが、あれで何度もゴルフスイングされた。

顔面陥没骨折、前歯折れて、眼球打撲、目の玉真っ赤、最悪だ。
人前に出れる顔じゃなかった。完全にオバケ。
海老蔵の顔なんて、かわいらしいもんだ。

そのヤンキー10人組、打ち上げに行っていた、真面目な同級生や、一緒にいた女の子からもお金を巻き上げたそうだ。



調子に乗った私が悪いのだが、やっぱりどうも気分が悪かった。

私は、その日、街で喧嘩した10人くらいの奴らを探しまくった。
該当するグループは私の調べでは3グループあった。

私は、名簿を探し当てて、順番に家庭訪問した。
しかし、いかんせん、酔っていたので、実際に顔を見ても本人かどうか分からない。

かなり悪そうなヤツの家にも行った。

相手の親もいる前で木刀を持って『俺と喧嘩したのお前か?』なんて、私の方がさらに悪党な家庭訪問をたくさんした。

10軒以上は行った。

だが、みんな俺らじゃないと言って、ラチがあかなかった。

かなり色んな事があったが、この事件はこれで迷宮入りした。










これは、もっと後の話になるが、私が車に乗って、篤が街に飲みに行くというので、送ってあげた時の話だ。土曜日だったせいもあって、街は酔っ払いでいっぱいだった。

そんな時に、しなければいいのに、信号待ちの私の車に近づいてきて、フロントガラスに顔を近づけてエラそうな事をしてきた6人組がいた。


私は、ああ酔っ払いめ!と思い無視をしていた。
しかし、後ろの方で、『ゴンっ』とかなり大きな音がした。
間違いない、誰かが車を蹴った音だ。

私は車を止めて、そいつらに声をかけた。

『おい!』


しかし、その時にもう篤の姿は助手席にはなかった。
その6人の中に突っ込んで、かたっぱしから殴っていた。

『はや!』 そう、つぶやいて、エンジンをとめて、車を路肩に鬼止めした。



篤から逃げようと数名がこっちに走ってきた。
私はそのウチの2人を捕まえた。

1人は『兄貴、やばいっす!変なヤツに絡まれて……』
などと携帯で話していた。

私は携帯電話を取り上げて、遠投した。50メートルは飛んだかと思う。 笑

『絡まれたというのは、おかしいやろ?車蹴って、問題をおこしたのはお前らやぞ?』
そう言って、ボコボコに殴って、コンクリの壁に頭をぶつけた。

篤は逃げたヤツを300m以上走って追いかけて、殴った挙句、さらに、血だらけになった相手を横断歩道を引きずって戻ってきた。




篤と一緒に遊んでいて、喧嘩になった事は何度もある。




単車で信号待ちしてる時に、コンビニの中から、こっちを指さして笑っていたヤツがいた。
口の動きで、『アホや、アホ!』と言っているのが分かった。

時代遅れの暴走族、アホや!みたいな会話をしていたのだろう。

私はイラっときて、そっちを睨んでいたら、篤と篤の弟のヒロは、そのコンビニの中にすでに突入していた。商品棚はぶっ倒れて、指さしていたヤツらもぶっ倒れていた。

”いやいや、あんたら早すぎやろ?” そう思いながら、コンビニに入っていった。

『おい、警察に電話したら殺すぞ!』
私はコンビニの店員がどこかに電話しないように、見張った。

『たぶんすぐポリくるで、もう行こうや』

私はみんなにそう言った。







また別の時に、私の当時付き合っていた彼女にシンナーを勧めて一緒にやった男連中がいたので、市内に包囲網を張って、 そいつらを捕まえた。

整列させて、順番に殴っていった。
 
ひょいひょいついて行く女も悪いし、シンナーに誘うヤツも悪いし、呼び出して殴る方も悪い。
登場人物は、みんなバカだ。


そんな事は十分承知の上だが、怒りの方が勝っていたので、イジメてしまった。

捕まえたのは5人、こっちはギャラリー込みで15人くらい。
順番に、自分らの必殺技や練習中の技を出していった。

双龍脚、延髄斬り、ハイキック、ギャラクティカ・マグナム、などなど。


攻撃に耐えられなくなって、ヒザをついてしまったヤツはさらに殴って立たせた。

ウチのチームと仲のいいチームで非常線を張って指名手配かけて探されたのだから、一般ヤンキー君は最初からビビりあがっていたのに、我ながら、まったく非道い連中だ。






路上で変な追い抜きとかされた時も絶対、許さなかった。
普通に抜かれるのはいいが、危なかったり、アオッて抜いたヤツは必ず追っていった。
追いついたら、バイクだったら、蹴ってコカす。車だったら、窓開けるまで、割る勢いで窓を殴る。

で、ひきずりおろして、とりあえず殴る。

私は同年代付近しかやらなかったが、篤はかなり年下のガキだろうが、年上(50歳とかでも)だろうが、相手がエラそうなら誰でもやった。




こうやって振り返ると、正義もクソもない、単なる悪党だなー。







                                               つづく
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