人間とは面白い。
同じ映画を見ても、全く違う感想だったりする。
考え方が幼稚だから深読みできないとか、作り手の感性を感じる事ができないってケースもあるだろうが、そうではなく、十分に伝わった上でも、また感じ方が違ったりする。
北野武のブラザーを見ても、カッコいいと感じる人、つまらないと感じる人、怖いと感じる人、暴力の無意味さを感じる人、そうじゃなくて暴力とは何かを真剣に考える作品だと感じる人。
殺されたのに、真木蔵人、加藤雅也、寺島進のカッコよさに惹かれてしまった者も多いと思う。
そしてこれらのDQNが大嫌いだと感じた人もいるかも知れない。
私の感想は、老人性痴呆症になって、介護されるくらいなら、こういう死に様もありかなーっと思ったという感じ。
アメリカでマフィア相手に、そこそこ戦ったし、あの人数で、あそこまでいければ上出来って感じじゃないかと思うし、死ぬまでは、それなりに楽しかったんじゃないかな?と思う。
長生きして何になるだろうか?
死ぬのは怖いし、わざわざ、死にたくはないが、自分に納得のいく死に方はしたいなあと思う。
今は娘がいるから、娘が一人前になるまでは、死んだらかわいそうかな……なんて、思う。
親より先に死ぬのも、親不孝だなと思うので、それもあるかな。
それ以外では、そんなに執着はない。
明日、死ぬって宣告受けたら、やっぱパニくるやろうけど、でも、そうなってもいい心の準備だけは、いつでもしてるつもり。
こんな風に、映画そのものの感想はさておき、そこから発信される議題について考えるのも楽しい。
さっき、ブラックスワンを見た。
結構、おもしろかった。
でも、おもしろいというのも、難しい。
楽しませてくれる事を前提に映画を見る人と、そうじゃなくて、自分から楽しもうと思って、映画を見る人がいる。
前者にとってはおもしろくない映画だとも思う。
この映画の流れって、非常に私の脳内に似ていた。
夢とか感覚とか、そういうのを実際に文章にしたり、絵にしたり、映像にしたりするのってすごい才能だと思う。
この映画はそういう感覚が映像になってきちんと表現されている。
キックアスも、すごく好きな映画だが、単純に復讐の為の暴力を見て、脳内からアドレナリンが噴出する体質かどうか?って違いが、おもしろいか、おもしろくないかを大きく分けると思う。
悪人が死ぬのを見るのが気持ちいいという感覚は、悪趣味だと思うが、時代劇とかヒーロー物では、もはや定番で、多くの人がスカッとする感覚を持つ。
ただ道徳観の強い真面目な人は、悪人だろうが、人を殺すという行為が良いとされるのはダメな事だと考えて楽しめないだろう。
私は、法に反してようが、かっこいい方がかっこいいと思うし、敵を殺す事に違和感を感じないし、身内を苦しめるヤツは死んでもいいと思っている。
私のようなヤツは問題だ。
自分から戦争を始める事はないという道徳心はあるが、よくやくざ映画などで、ありがちな、ハメ技で、自分の身内があたかも仮想敵にやられたかのような状況を作られたら、戦争を始めてしまう可能性がある。
そんな軽率な性格ではないので、本当にそうなのか?の因果関係は石橋を叩きまくるだろうが、その調査する事により、相手チームに偉そうな事をされたら、元の原因はどうでもよくなって、そっちが原因であらたな戦争が勃発する可能性だってある。
でも、それが自分自身の生き様なら戦争するしか道はない。
こういう思想のヤツのせいで、世界から戦争がなくならないのかも知れない。
犠牲になるのは利用される人とか、関係ない人が多いので、それをしなければいいのだが、国をあげた戦争で、そんな甘い話は通用しないだろう。
排除されるべき思想なのかもと、自分でも思う。
映画だけじゃなくて、実際に普段起こる、事件とかも、同じように体験しても、まったく違う意見を持つ事があると思う。
自分の友達に、自分が不利になるような事を言う人は少ないので、取り巻きが参入すれば、さらに事態は悪化する。
人はどうして、自分に近い人の意見を信じて、敵対するチームの意見を素直に聞かないのだろうか?
私は、事件を冷静に分析したい時は、絶対に、片方だけの意見は聞かない。
できるだけ、多くの方向の人の意見を聞くようにする。
そうしないと絶対に全体像は見えない。
これを訓練すれば、色んな人に意見をきかなくても、片方のエコひいきな意見だけでも、なんとなく全体のニュートラルが見える事が多くなる。
これは訓練だと思う。
感情的になって、話を聞く人には習得しにくい技かもしれない。
これは映画を見るときにも役に立つ。
バリバリのアメリカ擁護派の映画を見ても、アメリカ人になったつもりで映画を考えると同時に、日本人としても考え、そしてその他の国の人としても考える。
こういう見方をすると、また世界が違って見える時もある。
たとえば……
社長に叱られた。 という事件があったとする。
社長が叱るまでに至った経緯を頭の中で映画化してみよう。
そしたら、叱られてダルいなという感想から、そこまで考えた上での行為だったのか?
とか、いい加減な社長だなとか、一歩上の感想になるはずだ。
自分の主観とか、その場の感情だけで、物事を判断するのは、知能が幼稚園児レベルだ。
できるだけ多くの立場から同時に考えれると面白いと思う。
今まで私が出会った、頭が良いと思うような人間は、みんなこれが上手い。
その為には、たくさんの本を読み、たくさんの映画をみる。
でも、アホみたいに、受け身な見方、読み方をするんじゃなくて、作り手の脳を読む。
これが、いいと思う。
料理にしろ、すべての人間の行い、ひとつひとつにしろ、こうやって考えていければ、相当な芸術が生まれる気がする。
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