mixiユーザー(id:1512719)

2010年05月17日10:43

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愛情表現。

私は若い時は、愛情というのを表現するのが苦手だった。こっぱずかしいのとよく分からないのが入り交じりそんなに大事な事でもあるまいと人生において重要視していなかった。

しかし大きくなるにつれ、男女を問わず誰かと本気で付き合うという事は愛だな…、なんて思うようになってきた。

愛とはなんぞよ?

私にとって愛とは、自分にとって自分と一心同体で同じ個体である事。相手が傷付く事は自分が傷付くと同じ意味。もし相手が死んでしまうような事件に巻き込まれたら、相手の前に自分が立ちはだかるのは当然。一蓮托生、死なば諸共。

他人の世話をよく焼きたがる人がいる。こういう人はすぐに惚れやすい傾向にあると思う。
ただ恥ずかしいのでそれはウチに秘めているケースが多いとは思うが…。
世話を焼くという行為は悪いとは思わないが、往々にして「これだけやってあげたのに…」とか自分から進んで勝手に世話を焼いておいて「お礼すら言わないなんて失礼極まりない…」などと思う人が多いと思う。

これは相手に何かの代償を求め過ぎているのだろう。誰かに世話を焼くのは悪い事ではない、ボランティア精神が強い人は徳が高いと思う。しかしそれは、相手に見返りを求めないものであるべきだろう。

たしかに相手から笑顔で「ありがとう」と言われると、疲れた体や心がすっとリセットするのは理解できるが、それを強制するのはおかしいと思う。

ましてやお礼を言わなかった人間の事を「人間として最低」などと罵るような事をするのであれば、最初からボランティアなどしなければいい。

愛とは見返りを相手に求めないアガペー(無償愛)の事をいうのではないのか。
見返りに自分と同じ気持ちを相手に求めるのは愛ではなく、仁義のように思う。
男女差別をするつもりはないが、男同士の友情に仁義はあるが、男女間の愛で仁義を感じるような相手と出会った事は私の人生で過去に一度しかない。

仁とは、人間にとってもっとも普遍的で包括的、根源的な愛。
義とは、人の踏み行う正しい道筋。

相手に見返りを求める男女は愛を育んでいるのではなく、仁義を交わしているのだと思う。
私は女性と仁義を交わす事はおそらくこれからの人生ではもうないだろうと思う。

ただ仁義を貫く勇気もない人間が、個人の独占欲の為だけに、相手を束縛するという事があるのならば、それは人生においてなんと無駄な時間を過ごす事になるのだろうと思う。

双方がそれを望むサディスト・マゾヒズムの両方を持ち合わせた関係であれば、何の問題もないが、それを他方が強制する関係であるとすれば、完全に他方の生き様を殺してしまう。

しかし圧倒的大多数の結婚したカップルがこのような状態に陥っていると思う。
「嫁が怖い」 「亭主元気で留守がいい」 「嫁のご機嫌取り」 なんていうのはもうこのタイプだ。

適当な人間関係のままで同棲するから、こんな馬鹿げた結果となってしまったのではないか。双方に覚悟が足りないまま、なぁなぁで人生を進めてしまった罰だ。

しかし、男女間での仁義などそう簡単ではない。
私はその原因を、男性・女性の脳の構造に起因するモノではないかと思っている。

何が人生において大事か?何の為なら死んでもいいか?
その基準が違うという事は仁義を誓い合う仲にはなれないからだ。

さらに深い愛となると、仲間に対する愛(忠義、友愛)だけではなく、敵に対する愛(博愛)をも含むと思う。敵を許すという博愛は非常に重要な愛だ。

この博愛がある人間とはなかなか出会えない。今までの人生でも数えるほどしかいない。
私が目指す道でもあるが、組織を代表する人間が敵にエールと送る事は自らの組織の志気を下げる事になる。それを理解してもらうにはまず自分の仲間の意識を向上させてからでないと誰も理解してくれない。

恋は単純に独占欲の塊でエゴ以外の何モノでもないと思うが、愛とは自分勝手なエゴであってはいけないと思う。自分の子供を命がけで守るのに理由なんかいらないと思うが、全ての愛はそれと同じであるべきではないだろうか。
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