マイミクのtobirisuさんのとこに書いてあった事が興味深いものであったので拾ってきた。
私はバリに住んでいてすぐに日本の本を買えるような状況ではないが、早速「理系バカと文系バカ」という本をアマゾンで注文した。まだ注文したばかりなので当然読んではいないが、こんな事を書いているらしい。
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《理系バカな人》
・できれば他人とは深く関わらないで生きてゆきたい
・新型、最新テクノロジーの商品を買うために徹夜してでも並ぶ
・相手が関心のないことを延々と話す
・独善的で、いつのまにか相手を怒らせている
・「もっと分かりやすく説明して」と、よく言われる
・分からないことは何でもネットで検索してしまう
・感動するポイントが人とズレている
・文系よりも理系よりの方が人間として「上」だと信じている
・UFOや心霊現象について語ることは犯罪に近いと思う
・意外とオカルトにハマりやすい
《文系バカな人》
・血液型診断や占いが気になって仕方ない
・取扱説明書は困った時にしか読まない
・たいていのことは「話せば分かる」と信じている
・ダイエットのために「カロリーゼロ」のドリンクをカブ飲みしてしまう
・アミノ酸、カルニチン、タウリンなどのカタカナ表示にすぐ飛びつく
・「社会に出ると因数分解なんて必要ないよね」と言ったことがある
・「インド式算数」を学ぶより、電卓を使えばいいと思っている
・何でも平均値で物事を判断してしまう
・抗菌コートのトイレじゃないと入りたくない
・物理学と聞いただけで「難しくて分からない」と思ってしまう
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非常におもしろい。日本人というのは宗教観念があまり無い為に物事を判断する基準が”文系”か”理系”に分かれるのかもしれないとまで思った。
私は理系バカの項目は半分以上当て嵌まるが、文系バカには1個しか当て嵌まる項目がないところをみると、完全に理系バカのようだ。
大げさに言うと、理系のヤツは理詰めが好きで、人の心よりはどうしてそうなったのかの方に興味がある。文系のヤツは自分のイメージや自分の気持ち重視で、世間一般的にそうなっているというような他人の平均値に順ずる言動をとる人が多い。 と、いう感じかな。
私は人間が何かをするのに一番必要なのは統計学だと思う。しかし私自信が得手して先駆者である事を望む場合が多く、マネをするには過去の統計がない。そこで敢えて統計学を利用するのであれば温故知新というニュアンスになるのかもしれない。
私はよく『統計学的にみて失敗する可能性が高いから、失敗を恐れるのであればやめた方がいいが、それも経験だと思うのなら、その失敗も無駄ではないからチャレンジしてみれば?』と、いったような言い方をする事が多いように思う。
これはまったく相手の気持ちを考慮していない言い方だとは理解しているが、事実を端的に述べた方が時間的にロスが少ないと考えてしまう。そのくせ自分自身は感情的になりやすいのでタチが悪いな…。
人間は感情の生き物であり、事実や真実がどうであれ、言い方や表現方法がおかしければ、正しいとされない場合が多いのが現実だ。いや法律や世論はそうでもないかもしれないが、私の心の基準はそうだ。
昔は全然こんな事を考えた事などなかったが、子供ができて大分と文系脳になったのかもしれない。
新しく学んだ色んな思想を”正しいかどうか?” ”自分に合うかどうか?” を確認・把握する時、今までの信念に対してそれがそぐうのかどうかを自分の中で死ぬ程、吟味する。
色んな条件化で特殊なケースを含めて、全てにしっくりくるのかどうか?を無意識に数十、数百通り考えてみる。
分かりにくいので一例をあげてみる。
『女性にはいかなる時もやさしくあれ!』 これに感銘され、自分の信念に取り入れる場合。
まず女性とは全人類を性別で区分したすべての女性を指すと考える。それはアメリカ人も中国人もすべての国の人間を含み、0歳児から死ぬ直前のご老人をも指すのかどうか?
これは”女性”という概念にも起因する。”女性”とは18歳以上の適齢期より上限40歳までを指す(女性の皆さん、ごめんなさい…単なる一例ですので…)という考えを持った人ならそれが基準値になるのかもしれない。
次にいかなる時もという設定だ。いかなる時というからには、自分が殺される時でもそうであるべきだと私は思う。しかし、それを例外だと判断する人だっているだろう。
この命題で一番大事な項目は ”やさしい” という事の基準だろう。
例えば、薬物にハマっている女性を ”殴ってでも” 正常になってもらうように努力するのは優しいのかどうか?
酒やタバコを完全にドクターストップされている女性が ”どうしても少しだけお酒が飲みたい、タバコが吸いたい” と言った場合、あげるのがやさしいのか?ダメだとツッぱねるのが優しいのか?
自分の基準(ニュートラル位置)はどこにあるのか?を考えると共に、相手のニュートラル位置や世間一般のそれを同時に考える必要もあるだろう。
これらの事をフローチャート的に数十のパターンで全部のゴールが自分に合っているかどうかを考える。
私の場合は、これらの全てをクリアしてはじめて、その新しい思想を胸を張って他人に言えるようになる。
だから、何でもすぐ鵜呑みにしたり、ちょっと聞きかじった事を自分の意見かのように言う人のはすこし嫌悪感を感じる事もある。
また、世間一般的にそうなっているんだから、そうしましょうね! ってのも死ぬ程きらいだ。
どうして、どういう経路で現在そうなったのかを納得しない限り、絶対にしたくないって思ってしまう。すべての倫理や道徳に対してもそう思う。だから実は宗教のように、理由がハッキリしないのに ”○○しなさい” ”XXしてはダメ” などと明言されて、それに服従しなくてはいけないのには、ものすごいストレスを感じる。
これは日本国憲法に対してであっても、校則であっても、地方条例であっても、明白な理由がないのに禁止されている事に対しては、逮捕されてでも守りたくないって思ってしまう。
当然これは利口な人間の思想ではない。
私はイケイケの理系バカなのだろうか…?笑
早く本を読んでみたい。
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