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2007年11月09日10:05

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アナタハ神ヲ信ジマスカ?

=====================コピペ================
「米カリフォルニア州ケルン郡の教育委員会は7日までに、「イン・ゴッド・ウィー・トラスト(われらは神を信じる)」との標語を学区内の全高校の教室に掲示するよう義務付けた。推進派は「愛国心を高めるため」と主張するが、「政教分離原則に反する」と反発する声も上がっている。

義務化を後押ししたのはキリスト教保守派団体で、女性設立者は米メディアに「(義務化の狙いは)政治的、宗教的なものではなく、愛国心高揚にある」と説明した。規則は4対1の賛成多数で可決。唯一の反対票を投じたハンプトン教育委員長は「宗教を公教育に持ち込むべきでない」と警告したという。」
====================ここまで================

日本にだけしか住んだ事がない人からすれば、なんと強引で傲慢な事だろう!!と映るのかもしれない。日本は戦後、宗教の自由と銘打って。集団で宗教を嫌うようにアメリカに仕向けられたのだから無理もない。日本人の多くは宗教に対していいイメージを未だに持っておらず、狂信的なイメージがある。特に新興宗教=「カルト集団」「マルチ商法」「一般的でない集団」のイメージが強い。実際、殆どの新興宗教団体が、宗教的に、思想学的に何を言いたいのかも分からないイデオロギーの欠片も無いしょうもない集団であるのは事実であるが…。

私の住んでいるインドネシアでは宗教の自由が許されているが、国民は何らかの信仰を持つことが憲法に定められている。インドネシア全土で言えば80%以上がムスリム(イスラム教徒)で、後はキリスト教徒(カトリック、プロテスタント)、ヒンドゥ教徒が残りの大部分を占めている。バリ島に限定すると90%以上がヒンドゥ教となり%が逆転する。このように島によってはキリスト教の島とかが存在するが、これはインドネシア建国以前にイスラム王朝のより迫害され追いやられた異教徒が違う島に非難した結果である。

しかし、このイン・ゴッド・ウィー・トラストの言う神は、アラーであっていい訳ではない。おそらくはカトリック系でありそれ以外は許さないという厳しい物であろう。カトリックにとってプロテスタントを異教徒とみなす考えはこのような愛国心を唱える集団には多い。キリストは漢字で書くと「申」と書く。これを「示す」と書くと「神」という字になると、知り合いの神父さんが言っていたのを思い出したが、キリスト教徒にとって世界中に色んな呼び名で呼ばれる神はいるけど、それはキリスト教の言う所の神であり、解釈の違いであるらしい。

同一の経典宗教である「キリスト教」「イスラム教」「ユダヤ教」は元々「ヤハウェ」という唯一無二の神の存在から始まる。どこでこの3姉妹の歯車が狂ったかと言うとキリスト教がナザレのイエスを「神の子」と位置づけた事に端を発する。唯一無二の存在には「親子・兄弟」などが存在してはいけないというのがキリスト教以外の思想であった。しかしキリスト教というのは時代のニーズに合わせて宗教を変化させ、文明国家を築くのに都合の良いように解釈を変え、時には強引に事実を隠蔽したとする意見もある。中世ではキリスト教は血塗られた歴史で度重なる惨殺も行っているし、その結果現在のように全世界を制覇しているのだとも言える。イスラム国家が先進国でないのは、キリスト教と違い、真面目に古い経典を守ってきた結果が故であるだろう。

先ほども書いたが、日本人は戦争で天皇陛下を神とした狂信的な戦いを見せた。その結果敗戦後アメリカによって二度と刃向かえないようにする為に、その狂信的な意識を二度と持たせないようにする為に、宗教を捨てさせられた。その後、宗教の自由と言いつつも、はやり宗教をする人間は、すこし精神が病んだ人間というような偏見は現在まで拭えていない。

敗戦後、無理やりキリスト教国家にされていないだけマシ、宗教という概念をブチ壊されて、宗教なんかに頼らずとも生きていける強い人間になれてありがとうと取るか、ふざけた洗脳のせいで国民のイデオロギーが曖昧で、思想学や宗教に興味の持てないバカばっかりの国になったと取るのは自分の気持ちの持ちようか。

どちらにせよ、神を信じる事を強要する事を、バカなファシズムだとしか見れないのは日本人がそういう教育をされたからであって、私個人は「宗教の自由」という事がそんなに素晴らしい事だとはあまり思わない。ただ、熱狂的な信者が「人格者」であり、それほどでもない人間を「非国民」みたいな扱いをするのは、戦争に繋がる傲慢で危険な姿勢だとは思う。

敬虔なクリスチャンであるから人格者であるとする思想はかなり怖い。なぜならキリスト教は時代のニーズに合わせてその解釈を変化させてきた宗教であるから、昔の日本のように大義名分があれば人を殺すのはやむを得ないという結論になる可能性が高い。100万人の犠牲を出さない為に躊躇無く1000人を惨殺するのは正義なのだろうか?分かっていながらその1000人の気持ちを考えて、殺さなかった結果100万人が死んだ場合、それが自然なのだろうか?自然淘汰というのは存在する。それを阻止するのが不自然というのであれば医者はすでに神への冒涜であるのかも知れない。しかしそれで幸せになれる人々がいるのであればそんな神なんぞクソくらえだろう。

そもそも神は悪意をもって人間に罰を与えたりしない。善良な市民には危害を加えない。神は公平である。なんて思っているのは日本人だけじゃないかな?多くの国において神には悪の部分があり、ワガママで嫉妬深く、気まぐれである。そんなの神じゃない!!という事がすでに日本人のおかしな宗教観なのだろう。

これは宗教でなくても難しい問題だ。


「神信じる」掲示義務に反発も
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=335026&media_id=4
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