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2007年01月22日00:48

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「武士道」

「武士道」(ぶしどう、または、ますらおみち)


僕は親にいい名前をもらったと思う。「武士」と書いて「ますらお」と読む。実際、江戸時代には人口の6%しか武士は存在していなかった。それが、なぜか現在は日本人の心の様に言われている。本当は6%しかいないからこその「武士道」だった訳だが、それを現代にフィードバックする事は可能だろうか。




「武士道」とは …

「位」がある者が、それ相応の品性と気質を持ち、いかなる状況でも、その言動をそれに準じて生きなければならない道。
「侍」という高い身分を与えられたのだから、それに恥じない行動を取るのは当然である。




これを現代版にすると

「日々精進する凡人ではない心の持ち主であると自負しているから、それに恥じない言動をとる。」という事か。

「志」や「根性」だけではメシは食えないけど「金」よりは遥かに大事やと思う。そして若い時はそう信じてきたけど、じょじょに世間に負けて「金」が実際大事だと思い知らされた人だって沢山いるだろう。やむを得ない現実だろうが、そいつは「侍」ではないと思う。

他人には簡単にマネ出来ない様な強い「志」があり、その己の「志」に身を委ねて生きているという誇りからくる行動は「武士道」に通ずる。

また、自分個人は全体の単なる1人ではなく、日本人代表であると自覚し、煩悩に振り回される事なく、わがままを言う事もなく、品性的に上位の人間になるべく努力する。といった行動も「武士道」と言えると思う。

他人のアラを探したり、他人の落ち度を指摘し、からかったりしておもしろがる人間が自分自身に自信を持っているとは到底思えん。

自分自身を尊敬し、信用できるからこそ、他人に対しても、自分自身に対しても、自ずと驕らず謙虚な態度がとれるんやろう。

これを考えたら、今の日本人にはそういう謙虚さが欠けてるんじゃないかな?と思う。それがイジメにもつながってるんだろう。

心を鍛えるには、イヤな事をしてそれに耐える。つまり忍耐しかないと思う。正座2時間とか、瞑想2時間とか、TV1ヶ月見ないとか、タバコやめるとか、とにかく難しい事にチャレンジする。楽な方しか見ない人は心が緩々になってしまう。

これを義務教育に取り入れてはどうだろう。またPTAから得意の攻撃を受けるかもしれない。けどこれは間違いなく数学より科学より人生において重要やと思う。進学の目安にするだけの、くだらん学力アップよりは心力アップに力いれたらどうやろうか。

自分が私立の中高エスカレーター進学校に行ってて、さらに退学処分くらったから経験と、今インドネシアと言う教育が行き届いていない国に住んでいる経験から今思う。

高校までの勉強は大事だ。何故かというとその勉強した内容自体は大した意味はなく、単なる脳ミソを使う為の予備運動になるからだ。歴史を知る事はとても重要だが、国家で隠蔽している事や湾曲した表現で覚える事には意味がない。国語はとても大事だが、漢字を丸暗記していなくてもそんなに不便を感じない。だが、肝心なのはそこではなく、そういう脳の基礎鍛錬をした事によって、色んな事を考えられる基礎能力がつく事の方が重要だろう。

小学校のテストで「その時、亀はどう思いましたか?」の設問に対して「亀だから思わない。」と書き「×」をつけられた挙句に呼び出された経験がある。同様に「その時、筆者はどう思ったでしょう?」に対し「締め切り前で、焦っていた。」と書き、叱られた経験もある。

しかし、今でもその「×」にした先生の意図は分からない。「思い」を問う問題に正解、不正解がある訳もなく、それを点数で評価するテストにする意味も未だに分からない。単に教育要領に従っただけやろうけど、人間として、教育者としてそれでよいのか?といたたまれない。

それでも、そういう意味の無いテストであっても、そのテストの高い点数をとる為に頑張った行為は無駄ではない。それこそが脳のストレッチであり、忍耐の訓練でもあったからだ。

しかし、その忍耐はみんなが高い点数を取る為に努力する事が前提であるのに、実際は頭のいいヤツが勉強し、そうでないヤツはやらない。頭のいいヤツからすれば勉強はすでに慣れた行為で、それほどの忍耐では無くなっており、この忍耐をしなければいけないのは、頭の悪いヤツなのである。逆になってしまっているので、忍耐という意味で言えば現在のテストのやり方は間違っていると思う。


一番よいのは、意味のある学習をしながら脳の基礎体操をして、さらに忍耐力もつける。若い内から自分を磨き、自分に自信を持ち、謙虚さを覚える。上を目指す人間には上のステップを作るべきだが、最低限のステップをクリアした人間は、その時点で、全員栄誉ある人間でありべきだ。それは金銭的な要因で獲得できないシステムは避けるべきだろう。

テストの成績、偏差値、全てを公表する事を法律で禁止したらどうだろうか?入学試験もセンター試験だけを行って、ある一定以上の点数の人間の中から、くじ引きで決めたらどうだろうか?

おそらく、進学校や有名塾は猛反発するだろう。
そもそもお金を払って学ぶと言うシステム自体はおかしくないんやろうけど、競争心を煽り、他人を蹴落とすシステムが「謙虚な心」を無くさせる。俗に言う「ツラの皮が厚くないと生きていけない世界」を作りあげたせいで「感謝」「謙虚」が無くなってしまったと言える。

日本だけではないが、世界は何がしたいんだろう?
巨大な石が転がる様に勝手に進んでいってしまっているんだろうか?それをコントロールできないんだろうか?

政治家になったところで、それをいきなり方向転換する事はできない。実際、方向転換をなし得た人間は数える程しかいないだろう。

むしろ「サリンを撒かずに裏でゆっくりと成長してたと仮定したオウム真理教」や「中東テロ組織」や「アメリカの軍事力」や「暴力団」の方がいきなりな方向転換が可能だろう。

こうやって考えると世界を急速に変える事が出来るのは「強い力」「暴力」「軍事力」であるという事になる。
「侍」だって最終最後は「切り捨てごめん」出来るという切り札がある。

「出来るけどしない」裏をかえせば「する前に分かって下さい」って事はすでに十分な脅迫であり暴力だと思う。

だから「暴力はダメ」では全く不十分で意味がなく、人間のエゴである「暴力」を勉強し、知り、それがどういう効果を持つのか、そして、どういう結果を生むのかを「凝視」すべきであると思う。


それこそが「武士道」に通づる気がする。

ただし「忍耐」「謙虚」の部分を忘れ、「暴力」を悪用したり、誤解する人間が後を絶たないと思うので、私にはまだ、教育題材にする事ができない範囲であると共に、この安全な世の中にはそぐわない意見であるとも思うが、今の日本には必要になってくる事であるとも思う。
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