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2006年09月21日00:46

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特集連載企画『帰化食物』第一回【ラーメン】

さて、お待たせいたしました。帰化食物シリーズ第一回目は
「ラーメン」でありまつ。さてー、貴方がラーメン喰いたくなって何処か街場のコ汚い○○軒等と看板のどこにでもあるラーメン屋に入ったとする。そこには広東省から自称留学生の周君
やら蛇頭ルートで福建省からお越しになった王さんとゆーアルバイトが働いていたとしよう。彼らに注文して出てきたラーメンを指してこう聞いてみよう。「貴方の国ではコレを何と呼んでまつか?」もうバリバリ日本語もうまくなられた周君も王さんも一言 「麺(ミェン)」 と発音なされるハズと思う。
基本的には彼らにとって焼けば「焼麺/チャオミエン」であり、汁に
浮いたソバ麺は普通に「麺/ミェン」なのである。
では、我々が知っている「ラーメン」と言う呼称はどこから
来たのか? 実はケッコー謎である。そこでラーメンの歴史を
遡り紐解いてみることにした。
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今や、日本の国民食・日本料理ともよべる位置づけを得た、日本独自の発展を遂げた麺類である。が、原型とも呼べるものがある。
ご存知、日本で最初にラーメンを食べたの徳川光圀(水戸黄門)だという説がある。明から亡命してきた儒学者の朱舜水が水戸藩に招かれた際に中国の汁麺を献上したとの記録があり、これがラーメンだという説があるが,しかしこの時もまだ「麺」のままである。また、日本への伝搬の起源として明治時代の神戸や横浜などの中華街で提供されたことに始まるとする説と大正時代の北海道から始まった塩ラーメンとする説があり、大きく二つに分かれる。
ともあれ、長い鎖国の時代を越え、黒船来航以来、異国文化が流入し、長崎、神戸、横浜などの港町に唐人街ができた。そこで出されていた中国の麺が、長崎ではチャンポンになり、そして横浜ではラーメンや生馬麺/シャンッマーミエンヘと進化していく。
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明治中期に横浜で引かれていた屋台の麺は、塩味スープにネギがのるだけ。それにメンマがのり、フチを紅く染めた焼き豚が加わる。そして華僑の知恵か日本人のアイデアか、塩味のスープを日本人向けにと、醤油を加える工夫がされる。こうして中国の麺料理が日本のラーメンへと進化していく。進化しはじめてから100年にも満たないほやほやの食文化である。中国4000年の麺料理とラーメンの違いは、醤油で味付けしたことに始まるスープの味付けにある。中国の麺料理からラーメンへと変わっていく、進化の途上のような麺が、横浜に古くからある店には今も存在する。ラーメン発祥の地、横浜の源流の味である。その他にも、横浜には「タンメン」「サンマーメン」といった中国にはない横浜独自の麺文化が古くから存在する。特に生馬麺(シャンマーミエン/サンマーメン)は横浜・湘南方面では古くから愛され定番メニューとなってきた。これは、オイスターソースとごま油を効かせた中華風醤油味のとろみのあるスープともやしのシャキシャキとした歯応えが絶妙であり、後年これが全国に伝播し「もやしそば」の原型となる。故に、このサンマーメンのことを「横浜もやしそば」ということもある。

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一方、函館では1854年(安改元年)の開港を磯に、欧米をはじめとする異国文化との交流が始まる。今も元町かいわいはエキゾチックな趣で、ハリストス教会、元町カトリック教会、聖ヨハネ教会など、異国情緒の建物が随所に見られる。中国文化もまたしかり。開港後、中国領事館ができ、中国料理店も街に見られるようになった。明治の中期に横浜南京街(現在の中華街)で引かれた屋台で出されていた「南京そば」がラーメンの黎明。明治43年に浅草の来々軒で「支那そば」として売り出されたのが店舗としては草分けとされている。ところが明治17年の函館新聞に「南京そば15銭」という広告を発見。陳南養という中国人のコックが洋食店の「養和軒」の中で、中華料理もメニューに加えたという内容であった。現在の所これが、スープ麺なのか焼きそばのようなものなのかは定かではない。しかし、明治32年前後にオープンした東京「維新号」、神戸「神海楼」、長崎「四海楼」、横浜「博雅亭」などよりも先駆けて函館には中華料理が存在したのは確かな事実である。函館のしにせである岡田製麺では、大正時代から中華麺の製造を行っていたという。我々が現在ラーメンや支那そば、中華そばとよんでおりものは中華風のスープを使う同じ食べ物であるが、最初は南京町でよく食べられていたので、「南京そば」と呼ばれていた。
戦後、北支からの引揚者の影響もあり、一般にも食べられるようになり中華そばと呼ばれるようになった(ラーメンという言葉もあったが、中華そばの方が一般的だった)。
1958年(昭和33年)に日清チキンラーメンが発売され爆発的ヒットして以降は「ラーメン」という名称が一般的となった。

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●草分けは大正11年の塩味中華麺
大正11年の札幌で、北大前に「竹家食堂」が開店した。経営者は大久昌治氏(故人)。その後コックとしてやってきた中国人王文彩(おうぶんさい)氏によって、「肉絲麺(ロースーミェン)というメニューが加えられた。豚のもも肉とネギを細切りにして上に載せた、塩味の中華麺であった。それが形を変え、具に焼き豚、メンマ、ネギが入るようになる。
そしてその中華麺が『ラーメン』と呼ばれるようになる。これが北海道ラーメンの起源。しかし現在「札幌ラーメン」と呼ばれている物は、それとは全くの別物になっている。
この説は王文彩氏がお客に出すときに「好拉!(ハオラー)/ヘイ、お待ち!」と勢い良く出していたのを客が勘違いしてラー
メンと称するようになったというものである。中国で『ラーメン(拉麺)』と指すのは、本来生地をそのまま伸ばして(これを拉と呼ぶ)細長い麺にしたものを指す、他に中国の麺類は、生地を切った『切麺(チーメン)』(日本のラーメンやうどんがこれに近い)、小麦粉の塊を刀で削る『刀削麺(ダオシャンミャン)』がある。
現在は、中国・香港の繁華街に、日本のラーメン(日式拉麺)を提供するラーメン街が誕生し、多くの中国人客が訪れて日本食としてのラーメン・ブームが広がっている。 ニューヨーク等でも、寿司と並ぶ日本食として記事になることが少なくない。 スーパーマーケットなどで売られているラーメンはインスタント食品と見られる事が多いようだが、日本ラーメン専門店のラーメンは全く別物と区別され、日本食として評価される事が多い。
中国のラーメン(拉麺)は、南飯北麺と呼ばれるように、米の生産ができない華北地方で多く食べられており、今日の日本のラーメンとスープの味と麺の作り方に大きな違いが見られる。中国では塩味が大半。具はミンチ肉であったり、香菜(シャンツァイ)と呼ばれる香草だけの場合もある。

現在、北は旭川〜南は鹿児島まで大きく分けて主だった
ラーメンだけでも20種類も日本国内に存在すると言う
ご当地ラーメン。
中国四千年の食の歴史のロマンに思いを馳せ一杯のラーメン丼ぶりと言う小宇宙の中に日本人のイマジネーションをもって「盆栽」のごとく表現し、また日本人の感性で研ぎ澄まされ独特の文化というべきレベルまで修練・昇華させてきた、、、でも故郷に帰れば
ただの『麺(ミェン)』

おお、ラーメンよ、、ここにわらしは君に栄えある『帰化
食物第一号』を認定するものである。

参考文献:新横浜ラーメン博物館HP他
     「中国四千年の食の歴史と浪漫」(民明書房刊)

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