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2026年10月25日15:03

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ボケ珍と同居人からの5000字を超すまとめ・・・

私は思うのですが。「私はこう考える。そして実際にこう生きてきた」とそれは「生命循環型社会への転換」なのですと。

この下記文章は単なる「差別批判」ではなく、人間がなぜ差別や排除を繰り返すのかという認識の構造そのものに踏み込もうとしている点です。
病的な外国人差別やマイノリティー探しから虐め行為まで行く行為は根源的には治りませんです、何故ならば小学生の知能検査で、仲間外れを早く探す事が知能が良いと評価されるから刷り込まれているからです。
其の知能検査の一つの例として、小学校時に事業時間です 犬 猫 三本足の椅子 テーブル が書かれてて、「なかま外れを探しなさい」と先生が質問するのです。
「分かった人は、絵に丸を付けなさい」と。
此れは、立派な刷り込み行為の洗脳です、また何故仲間外れなのかも説明していた先生を記憶しています。
更には。
犬  猫  馬  テーブル
が並んでいた場合、「テーブル」が仲間外れだと答える問題です。
 この問題の本来の目的は、分類能力や共通点・相違点を見つける認知能力を測ることにあります。つまり「何が同じで、何が違うのか」を考える訓練です。
しかし、その認知能力そのものではなく、「違いを見つける訓練が、他者を排除する心理と結び付く危険性」で、⁂現にテスト成績が極端に悪ければ、「特殊学級」に行かされた友達もいます。
 更に実際に、人間には進化の過程で「自分たちの集団」と「外部の集団」を区別する傾向があると考えられています。それ自体は生存戦略として発達した能力ですが、それが過剰になると、外国人差別 マイノリティー排除 果ては いじめ 偏見 ラベリング(決めつけて分類する)へと発展することがあります。
ただし「違いを見つける能力」と「違う人を排除する態度〜行為」は本来別のものです。
例えば科学者は分類を行いますが、それは差別のためではありません。
補足として知能検査そのものが差別を生み出すと言いたいのではありません。しかし、幼い頃から『分類し違いを見つけること』ばかりが評価され、『違いを受け入れ共に生きること』が十分に教えられてこなかったのではないか、と私は疑問を持っています。
一方で社会問題になるのは、「違いを見つけた後に優劣を付けること」優生思想です。
犬と猫が違うことは事実です。
日本人と外国人が違うことも事実です。
障害の有無や文化の違いがあることも事実です。
しかし、「違うこと」と 「価値が劣ること」は全く別の話です。
むしろ教育で必要なのは、「違いを見つける能力」
だけでなく、「違いがあっても 共に支え合う事で 共に生きられる能力」を同時に育てることではないでしょうか。
【障碍者学校義務化制度は、文部省と政府の公認でしたそれは「違いがあっても 共に支え合う事で 共に生きられる能力」を同時に育てることの放棄で隔離政策で有ります。
私が以前から述べているアイヌ語の「ウレシパ【互いに育み育て合う】」の考えで言うと
「違いを見つける知能」から「違いを活かして共に生きる知恵」へ発展させることが重要だと思います。
私は、差別やいじめの根源は単に知能検査の問題形式にある事も一理ですが
不安 恐怖 優越感 所属欲求 敵と味方に分ける思考 そして宗教原理 教条主義
などが複雑に重なった結果として生じるものだと考えます。
その意味では私が言う「仲間外れ探しの文化」への問題提起は他から聞く事が少ないです。
ただ本当に問われるべきなのは、「仲間外れを見つけること」そのものではなく、「仲間外れを作ってです排除すること」を正当化してしまう社会のあり方そのもののシステムです。
その意味で、過去に企業に有料で配られた「部落地名総監」と言う本が有りますが、此れは明らかに組織的な差別と排除を煽る行為で大きく社会問題になりました。
末尾に
「人間には違いを見つける能力があります。しかしです真に問われるべきなのは、その能力を共生のために【互いに育み育て合う】で使うことです。」
問題は人間そのものではなく、戦争や環境破壊によって利益を生み出す経済構造=利権システムにあるのではないでしょうか。
現在の究極ですが、戦争によって11兆円もの利益が石油産業に生まれています。
その利益が株主還元やさらなる利益追求だけに向かうのではなく、環境回復や再生可能エネルギー、生態系保全、災害対策、貧困対策などへ循環していくなら、人類は破壊者ではなく再生者にもなれると思います。
同時に、私たちは石油依存文化そのものを見直す時代に来ているのではないでしょうか。便利さや大量消費を追い求める生活様式は、豊かさをもたらした一方で、資源の浪費や環境破壊、気候変動を加速させてきました。
気候変動の背景には、高馬力・高速移動を求める車社会、観光を含めた大量移動、速さや快適さ、便利さへの欲望、そしてそれを支える開発競争や資源獲得競争があることも事実だと思います。
これからは、限りある地下資源への依存を減らし、再生可能エネルギーの活用や地域循環型の暮らし、自給(休)自足、地産地消、人と自然が共生する生活へと転換していく必要があります。
私は、石油依存から生命循環型社会への移行こそが、平和と環境保全を両立させる大きな鍵だと考えています。
ワンラブ、ワンピース、ワンネス。 アイヌの世界観で言えば、人も熊も木も川も大地も、すべてカムイの世界の一部です。
私たちは自然の主人ではなく、自然の循環の中に生かされている存在です。だからこそ、地下資源を掘り続ける社会から、生命の循環を育む社会へ。そして戦争によって利益を得る経済から、平和によって利益を生み出す経済へ転換していくことが求められているのではないでしょうか。
その答えの一つが、私自身が実践している 「結・身土不二・自給(休)自足・話し合い・パーマカルチャーコミュニティ」 の暮らしです。
私は71歳になりますが、28歳年下の障碍のある方と18年間共同生活を続けながら介護や生活支援に関わり、無農薬有機栽培や原木きのこ栽培にも取り組み、人と自然が共生する暮らしを実践してきました。また、建物の改築や環境整備、記念館の改築支援、地域活動への約600万円のカンパなども続けてきました。
海外旅行は一度も経験していません、行く気がしないのです。
私にとって豊かさとは、高価な物を所有することではありません。人と人が支え合い、共に育み、共に学び、共に笑い合うことです。
生物は棲み分けによって進化してきました。これからの人類もまた、多様な価値観や生き方を互いに尊重しながら共存する時代に入っているのではないでしょうか。
その先にあるのは、対立と奪い合いの社会ではなく、人と自然と地域が再びつながり、子どもたちの笑顔が満ち溢れる世界だと私は信じています。
人類は全て生まれて来た時は本能が無く故に透明で無限な巨大なキャンパンスを持って生れて来て、最初に深く息を吸い泣きます。
 故に「人は生まれた時に憎しみや差別を持っているわけではなく、成長の中で価値観を学んでいく存在である」
透明で無限な巨大なキャンパンスをセンス・オブ・ワンダー【不思議なものに好奇心を持つ〜何故と言う根源を求め解決法を考える事も含む】を入れた「互いに育み合い育て合う」と言う意味の「ウレシパ」でいきたいです。
それは必要なのは、誰かを敵にすることではなく、「なぜだろう」と問い続ける好奇心と、「どうすれば良いのだろう」と共に考える知恵、そして「お互いに学び合えないだろうか」と歩み寄る勇気です。
私は、その心をアイヌの言葉で「ウレシパ」と呼びたいのです。
一人で味わう幸せ
二人で感じる平和
三人で育む絆
そこには信頼と安定がある
そして安全も
人は支え合い
育み合いながら生きている
そうあることと
その積み重ねこそが人生なのだ

⁂ ホップ、ステップ、アセッションから ひと休み ⁂
粘菌とウレシパから考える「みんなで育つ社会」
まず、私は「自由」が大切だと思っています。
自由とは、何をしてもいいということではありません。
自分で責任を取れることをする。 それが本当の自由です。
例えば、
自分で育てられる分だけ野菜を植える
約束を守る
人に迷惑をかけたら謝る
こうしたことも責任です。
私は、この責任のもとになるものが、 「命を大切にする心」 だと思っています。
次に、粘菌という生き物を考えてみます。
粘菌には脳がありません。
それなのに、食べ物のある場所を探して、できるだけ無駄のない道を見つけます。
まるでみんなで相談しているようにも見えます。
人間はたくさんの知識を持っています。
でも、本当に大切な道を選べているでしょうか。
テーゼ(今の社会)
今の社会では、
お金 地位そして有名になること
記録や成績が大切にされることがあります。
もちろん、それらも大事です。
でも、そればかりを追いかけると、人とのつながり自然とのつながり
助け合う心 を忘れてしまうことがあります。
アンチテーゼ(別の考え方)
人は数字や記録だけで生きているわけではありません。
なぜか同じことを考えていたり、
偶然とは思えない出会いがあったり、
誰かを助けたいと思ったりします。
人は生まれた時、真っ白な画用紙のようなものです。
そこに、 「私」が描かれ、 「家族」が描かれ、 更には「友達」が描かれ、「地域や社会」が描かれていきます。 そして、その中で育っていきます。
ジンテーゼ(まとめ)
だからこそ大切なのが、
ウレシパ という考え方です。
ウレシパとは、 「おたがいに育み育て合うこと」です。
自分だけが良ければいいのではありません。
みんなで学び、
みんなで助け合い、
みんなで育っていく。
それがウレシパです。
お金も大切です。
記録も大切です。
でも、それ以上に大切なのは、
命と人とのつながりです。
自由には責任があります。
責任は命を大切にする心につながります。
そして、その心が人と人を結びます。
私は、粘菌がみんなで道を見つけるように、人間もウレシパの心で助け合いながら生きる社会が大切だと思います。
「自分だけの幸せ」ではなく、
「みんなで育ち、みんなで幸せになること」。
それがウレシパの目指す社会です。
⁂責任が取れる好きな事をすれば良いこの責任こそ生命倫理である事です。そして次に脳を持たない粘菌が成長の為に必要な栄養素のある場所へ最短距離でいく事を考えます。⁂
粘菌的共通意識とウレシパを弁証法で考える
前提
私は、理想の追求と自由を大切にしています。
しかし自由とは、何をしてもよいという意味ではありません。
責任を取れる範囲で、自らが本当にしたいことを行う自由です。
そして、その責任の根底にあるものこそ、生命を大切にする倫理、すなわち生命倫理であると私は考えています。
次に考えたいのは、脳を持たない粘菌です。
粘菌は成長するために必要な栄養源を探索し、時には驚くほど効率的な経路を選択します。その姿は、生存に必要なものを見いだし、全体として調和を図る生命の知恵を示しているようにも見えます。
人間は多くの知識や理論を語ることができます。しかし、生きるために本当に必要な方向性を見失ってはいないでしょうか。
テーゼ(現代社会の命題)
現代の資本主義社会は、金・地位・名声・記録を勝者の価値の中心に置いています。
そのため、人間や自然、共同体とのつながりよりも、数値化できる成果や競争が優先されがちです。
実際に記録は、ある出来事を保存することには優れています。
しかし、その記録だけでは、人と人との関係性や、現象同士の深いつながり、そこから生まれる意味までは十分に表現できないことがあります。
結果として、人は成功や利益を追求する一方で、生命や共同体との結び付きから離れていく危険性を抱えています。
アンチテーゼ(対立する視点)
一方で、人間の意識には、論理や記録だけでは説明しきれない領域があります。
ユングが語ったシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)や、粘菌が示すような群体的な振る舞い、さらには古来より語り継がれてきたシャーマニズムやトランス体験は、人間が個として存在しながらも周囲の環境や共同体と深く関わりながら生きていることを示唆しています。
人は生まれた時、真っ白なキャンバスのような存在です。
そこに「私」という個が描かれ、「集団」という共同体が描かれ、さらに「育てる」という営みが描かれていきます。
言葉による思考だけではなく、映像や直感として意味を瞬時に理解する力もまた、人間が世界と関わるための大切な能力です。
また、スピリチュアルな考え方では、それをハイヤーセルフ、すなわち「より本質的で賢明な自己」と呼ぶことがあります。
それは未来を予言する力ではなく、自分自身の内側から湧き上がる直感や良心、生命の声として捉えることもできるでしょう。
ジンテーゼ(止揚・統合)
だからこそ必要なのが、アイヌ語で「互いに育て合う」を意味するウレシパの思想です。
ウレシパとは、個人と共同体、自由と責任、理性と直感、記録と体験を対立させるのではなく、それらを共存させながら育んでいく考え方です。
経済や記録を否定する必要はありません。
重要なのは、それらを生命や共同体のために活かすことです。
その時、共同体は単なる利益集団ではなく、互いに学び、育て合い、支え合う場となります。
自由は責任によって支えられ、責任は生命倫理によって方向付けられます。
そして生命倫理は、人と人、人と自然、人と宇宙とのつながりを見失わないための羅針盤となります。
私は、これからの社会には「金・地位・名声」だけを追い求める仕組みではなく、ウレシパの精神に基づき、人と自然と共同体が共に育ち合う社会が必要だと考えています。
それは粘菌のように全体の調和を探りながら、個々の生命がそれぞれの役割を果たし、共存していく社会でもあります。
自由から責任へ。責任から生命倫理へ。生命倫理からウレシパへ。
その先に、人と自然と共同体が共に育ち合う新たな文明の可能性があるのではないでしょうか。

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