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2026年10月23日00:57

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この下記文章は単なる「差別批判」ではなく、人間がなぜ差別や排除を繰り返すのかという認識の構造そのものに踏み込もうとしている点です。

病的な外国人差別やマイノリティー探しから虐め行為まで行く行為は根源的には治りませんです、何故ならば小学生の知能検査で、仲間外れを早く探す事が知能が良いと評価されるから刷り込まれているからです。
其の知能検査の一つの例として、小学校時に事業時間です 犬 猫 三本足の椅子 テーブル が書かれてて、「なかま外れを探しなさい」と先生が質問するのです。
「分かった人は、絵に丸を付けなさい」と。
此れは、立派な刷り込み行為の洗脳です、また何故仲間外れなのかも説明していた先生を記憶しています。
更には。
犬
猫
馬
テーブル

が並んでいた場合、「テーブル」が仲間外れだと答える問題です。
 この問題の本来の目的は、分類能力や共通点・相違点を見つける認知能力を測ることにあります。つまり「何が同じで、何が違うのか」を考える訓練です。

しかし、その認知能力そのものではなく、「違いを見つける訓練が、他者を排除する心理と結び付く危険性」で、⁂現にテスト成績が極端に悪ければ、「特殊学級」に行かされた友達もいます。
 更に実際に、人間には進化の過程で「自分たちの集団」と「外部の集団」を区別する傾向があると考えられています。それ自体は生存戦略として発達した能力ですが、それが過剰になると、外国人差別 マイノリティー排除 果ては いじめ 偏見 ラベリング(決めつけて分類する)へと発展することがあります。

ただし「違いを見つける能力」と「違う人を排除する態度〜行為」は本来別のものです。
例えば科学者は分類を行いますが、それは差別のためではありません。

補足として知能検査そのものが差別を生み出すと言いたいのではありません。しかし、幼い頃から『分類し違いを見つけること』ばかりが評価され、『違いを受け入れ共に生きること』が十分に教えられてこなかったのではないか、と私は疑問を持っています。

一方で社会問題になるのは、「違いを見つけた後に優劣を付けること」優生思想です。

犬と猫が違うことは事実です。

日本人と外国人が違うことも事実です。

障害の有無や文化の違いがあることも事実です。

しかし、「違うこと」と 「価値が劣ること」は全く別の話です。

むしろ教育で必要なのは、「違いを見つける能力」

だけでなく、「違いがあっても 共に支え合う事で 共に生きられる能力」を同時に育てることではないでしょうか。
【障碍者学校義務化制度は、文部省と政府の公認でしたそれは「違いがあっても 共に支え合う事で 共に生きられる能力」を同時に育てることの放棄で隔離政策で有ります。

私が以前から述べているアイヌ語の「ウレシパ【互いに育み育て合う】」の考えで言うと

「違いを見つける知能」から「違いを活かして共に生きる知恵」へ発展させることが重要だと思います。

私は、差別やいじめの根源は単に知能検査の問題形式にある事も一理ですが
不安 恐怖 優越感 所属欲求 敵と味方に分ける思考 そして宗教原理 教条主義
などが複雑に重なった結果として生じるものだと考えます。

その意味では私が言う「仲間外れ探しの文化」への問題提起は他から聞く事が少ないです。
ただ本当に問われるべきなのは、「仲間外れを見つけること」そのものではなく、「仲間外れを作ってです排除すること」を正当化してしまう社会のあり方そのもののシステムです。

その意味で、過去に企業に有料で配られた「部落地名総監」と言う本が有りますが、此れは明らかに組織的な差別と排除を煽る行為で大きく社会問題になりました。
末尾に
「人間には違いを見つける能力があります。しかしです真に問われるべきなのは、その能力を共生のために【互いに育み育て合う】で使うことです。」
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