mixiユーザー(id:16600073)

2026年10月13日07:20

27 view

石川数正の出奔 の雑感

家康に40年近く仕えたのに秀吉へ出奔…徳川重臣・石川数正が「裏切り者」に追い込まれた“2週間の急転”
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d5eb9fa41bc56d419da3604c3a2521165f47544?page=1

秀吉との和平交渉中に、数正の管轄下にあった小笠原貞慶の秀吉への寝返りが発覚。数正は徳川での信頼を失い、粛清を逃れるには秀吉に寝返るしかなかった みたいな話。諸説ある出奔理由の中でも、根拠がしっかりしていて信憑性が感じられる説。

小笠原貞慶は信濃の旧領復帰のために諸勢力を渡り歩いた人物なので、所領を安堵してくれるのであれば主君が誰でも良かったはず。秀吉からすれば調略しやすいタイプではあっただろう。

貞慶の子、秀政。豊臣と徳川が手打ちになった後に、秀吉の口利きで信康の娘(家康の孫)と結婚する。信康が存命だった時に補佐していたのが石川数正。徳川を出奔せざるを得なくなった原因である小笠原が信康の娘と結婚という事態に、どんな感慨を持っていたのだろうか。

微妙に秀長が関わってくる小笠原一族のその後。九州征伐の際に秀長の指示に逆らいまくり所領没収された尾藤知宣は、元々は信濃で小笠原に仕えていた家系。その縁で小笠原は尾藤を密かに保護していたのだけれども、その尾藤が秀吉が復帰を願い出て逆にひんしゅくを買って処刑。小笠原も煽りを食って所領没収され、嫁の実家となる徳川に仕えざるをえなくなり、没収された領地は石川数正に与えられるという因果。

もっとも関ケ原で徳川が政権を握ると、石川数正の一族は没落していって、代わりに小笠原が信濃の旧領を奪還。めでたしめでたしで終わるかと思ったら、大坂城夏の陣で本田忠朝を救援しようとして子・小笠原忠脩もろともに秀政も戦死してしまう。忠朝の母は信康の娘(秀政の妻の姉妹)で、忠朝の姉妹は忠脩の妻。絶対に見捨てられない存在ではあった。

もっとも小笠原の奮戦も甲斐なく忠朝は戦死してしまうし、同じく奮戦した榊原康勝も戦傷死する。忠朝の祖父は本多忠勝、榊原康勝の父は榊原康政。ともに数正と対立した主戦論者だったわけで、このへんもたまらなく因果なのだよなと。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年10月>
日 月 火 水 木 金 土
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

最近の日記