■中部電力、社長・会長が引責辞任=30日付、浜岡原発不正で―再稼働申請は取り下げ
(時事通信社 - 09月14日 15:02)
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中部電力は14日、林欣吾社長と勝野哲会長が30日付で辞任すると発表した。浜岡原発(静岡県)の地震想定に関するデータ不正を巡り経営責任を取る。林氏の後任には安井稔専務が昇格する。また、「信頼性に重大な疑義が生じている」として、同原発3、4号機の再稼働に向けた審査の申請も取り下げる。
データ不正発覚後も同社で相次いだ不祥事は、経営トップ2人が同時に辞任するという異例の事態に発展した。水野明久相談役も同日付で退き、会長と相談役は当面不在となる。
名古屋市内で記者会見した林社長は、「ガバナンス(企業統治)と組織風土に重大な課題があった」と述べ、「痛恨の極みだ」と謝罪した。不正当時社長だった勝野会長も「是正できなかったことについて極めて重い責任がある」と語った。
会見に先立って同社が公表した調査委員会の調査報告書によると、不適切行為を正当化する社内風土とともに、スケジュールの遅れに対する経営層の「批判・叱責」や、現場とのコミュニケーション不足も不正の要因とされた。
林社長は「指示の仕方がプレッシャーになっていなかったか反省している」と述べた。再稼働に向けた審査申請は取り下げるものの、「(再稼働を)諦めたわけではない」とも強調した。
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新聞により詳細が載ってるのを読んでいると、今回の問題はいつものように起きた事である点で何も特徴がない点が特色と言える。
現場と規制側の乖離。現場から見れば報告書の項目のひとつひとつが馬鹿らしく時間の無駄に見えるのだろう。現場を知らない実効性の薄い内容の数々。一方の規制庁からすれば安全かどうかを認可するためのデータがいる。それは工学が純粋に求める何等かの報告書の形になっている。恐らく一生会って話をする事もないふたつの組織が全くもって原子力の安全性を紙のやり取りだけでやりあっている。
その状況で、計画の遅れに対して叱責しかできない経営陣。計画というものは必ず作業の積み上げでしか作れない。その結果として、もし計画が遅れたならば、それは積み上げたどこかに問題が起きたという事だ。だからすべきは急げという指示ではない。なぜ遅れたか、それを解消するのに必要なのはなにか、資材か、人材か、それとも予算か。見込みが甘かったのならリスケ以外に方法はない。叱責して取り戻せると思っているなら計画の詳細を把握していないという事だ。それを知る必要がないと理解しているという事だ。下手をしたら予定日を決めて逆算して計画を立てている可能性がある。殆どの日本の経営者はこの方法しか知らない。
恐らく処方箋としてはオープン化しかないだろう。恐らくコミュニケーション不足に結論される場合は、オープン化によって情報のやり取りをするしかない。だが、一般的にコミュニケーション不足の場合、コミュニケーションを密にしようという掛け声で解消する事はない。なぜなら部署の間にプロトコールが形成されないからだ。お互いに必要と思っても何を話すか、いつ、どこで、どんな内容を。プロトコールが決まっていないのに、SNDもACKもありはしないのである。
オープン化といえば一般的には情報公開の事であるが、オープン化は単に情報公開する事は信頼をえる手段というだけにとどまらない。自分たちの組織内にある暗黙知や慣例、規範を明らかにし意識化するオープン化もある。内部のオープン化である。併せて組織の外、国の内外における方法論を貪欲に調べ内と外の違いを意識して取り込んだり、改善や対応するためのオープン化もある、外部のオープン化である。
それでも大企業なら両者や部署間の間に立って全体を統合する役割の人がいたりもした。組織化が不可能な隙間を埋めるような人材がいたりしたものである。だが、企業が共同体の役割を放棄する事で、組織の見直しをする過程でそういう人材も切り落としてきた。
正式な組織ではないのに成立していた機能というものがどのような状況にもある。日本でもっともその機能的役割を果たしていたのは、元老である。特に陸軍と海軍の間の調節役として機能していた。それが天寿により消滅した時、失われたのは単なる組織の消滅ではなかった。機能も失われたのである。
戦後に企業が担ってきた共同体の消滅、終身雇用を取り下げた事によって失われた社員の忠誠心、忠誠心の代わりの貢献を引き出すだけの賃金も払わない雇用体系、社員といいつつ、個々人は自分の損はしない事が重要となる。社内の生き残りという競争でさえ従来は企業至上の次で順位であったものが、恐らくは企業の前に個人の出世というものに置き換わった。
「痛恨の極み」というセリフにその全てがあるようにも感じる。通常、心から後悔している場合にこの言葉は使わない。とはいえ一生の不覚もなんか映画っぽい。遺憾の意、慚愧に堪えないは政治家が使い倒した。つまりだ、こういう時には自分の言葉で語るしか本当の想いは伝えられないが現状であって、こういう常套句は使わないとしたものである。
データ不正はあらゆる会社で繰り返し起きてきた事である。その構造がどれも同じように見える。という事は誰もまだ本当の治療方法を知らないという事だ。これだけの大学なり省庁がありながら、誰も研究をしていないし、正体を見つけられていないという事だ。つまりこれはデータ不正が問題などではない。社会学の敗北と見做せる。という事は、これがまた起きる。もう一度起きる。
丁度大日本帝国が戦争に突き進んだのと同じ愚かさがもう一度起きるのを止められないのを暗示している。なぜ何回も繰り返されるのか。なぜ文化も歴史も違う企業で似たような事が起き続けるのか。他山の石を見ても改善されない、企業的損失がどれほど巨大になるかを知っていても止めらえない。
たしか小室直樹によれば内と外で異なる規範(二重規範、ダブルノルム)で動いているという話であった。たしかそれが企業の共同体によって起きるといっていた。だが、共同体の役割は終わりつつある筈である。所が現象的には内(部署の倫理)と外(国家の規制)で異なる規範で動く。共同体が企業にはないが、所属する組織ではまだ強烈に残っていると考えられる。アメリカのドラマで警察を裏切った警官が村八分にされる話がよくある。ここにも似たような類型がみられる。共同体よりももう少し小さなものがあるとして。
それは部署の論理だから企業が直面するであろう不利益は考慮されない。それよりも部署を守るという形が重要になる。そして部署は企業内ではピラミッド構造であるからその部署は部長とか課長役職の人が外とのつながりになる。すると部署の中に所属するという形式を守るという個々人の行動規約が、他のルールよりも優先される。だから、第三者の立場が必要となる。だから、警察には警察内警察が設置される。アメリカのドラマでは内部調査部門は本当に嫌われ役として描いている。日本では第三者委員会の役割であるが恐らく機能していない。
最終的には計画ときちんと作れない所から始まっていると考えてよいだろう。その上で、問題なく計画が動いている間は不正は起きない。問題は遅れが出始めた時だ。計画においては作業が絶対の要件ではない。だが、殆どの計画において締切日だけにフォーカスしている。そこで発生する作業には経営者でさえ興味を持たない。恐らくこの経営者も実際に行われる作業のひとつひとつを理解していたとは考えられない。気にしていたのは進捗率だけだったろう。何日の遅れ、リカバリはどれくらいでやる。できるのか、必ずやりますという殆ど意味のない会話が続けられただろう。経営者は明日には計画は元通りの戻ると思って就寝にはいる。真夜中に小人が出てきて仕事をしてくれると信じていないなら魔法を信じているのだろう。
杉山元に天皇が言う「支那は1ヶ月で片付くと申したが4年掛かってもまだやれぬではないか」「支那は奥地が開けておりますゆえ」この言葉に天皇は強く返す「太平洋はもっと広い」杉山は何も言い返さない。困った時には黙る幼児性をかかえた陸軍大将。「回答は差し控えさせていただく」とはさすがに天皇に向かっては言えなかったらしい。
計画を立てる事のできない多くの場合は、必要な作業の積み上げではなく、必要な日付などから逆算して計画を立てる事が多い。そこでは必要な作業の積み上げがないからそもそも計画を進めてみると遅れても何が問題かを可視化できない。必要な作業のどこにあるのか、どの場所に問題があるのか。
海図なく航海に出たようなものだ。北極星を見ないから緯度も分からない。その日時の太陽の位置を知らないから昼間でも緯度が分からない。経度には正確な時計が必要だ。日の出の時間と、その時刻に太陽が昇る位置のカレンダーがないと求められない。または近海を公開して地図から場所を知る。
データ改竄は何度も起きる。リリースできないと言われたら誰だってデータ不正くらいやる。データがおかしい事を問題にしないのが上の要求である。誰が数値を書き込むかだけを求めているのだから、それなら現場がやりましょうとなる。数値を書き込んだ方も、これで問題がないと納得する必要がある。当然、技術的には何も問題ないと返すしかない。
報告書をもらった側だって現場を見ないし、見ても理解できない。OKサインだけで信用するしかない。報告書をもらった側が数値とにらめっこして簿記の専門家みたいに脱税を見抜いたならそれはそれで素晴らしい。だが、逆にいえば現場の方も詰めが甘いという事になる。見抜かれるような改竄はするなという事で、内部告発しかないだろう。だが、いまだに内部告発した人は現場から追い出されるそうである。組織を救った人を追い出す、そういう社会性がまだこの国の組織にはある。そうしないと組織が維持できないとしたら、その根本にある組織の駆動力とは何であろうのだろうか。
ちなみにアメリカドラマの警官たちは、最後まで守ってくれないなら背中を預けられないという話であった。だが、不正をやったり隠蔽したり情報を漏らしたりする警官をバディとは言え守るのもどうかって葛藤がドラマの基本ラインになっていたりする。
凡そ誰がやっても誰がその立場でもそりゃデータ改竄は同じ状況ならやってしまうのである。それが例え原子力であっても。311のあの爆発よりももっと大切な力学が企業内には存在する。
最終的には全て経営トップの責任である。だが、恐らく引責辞任したひとたちはうまく逃げた訳だし、その顔には安堵感がある筈である。たかがチェックリストだのコミュニケーションだのダブルチェックだの第三者チェックだの倫理教育だのそういうものでどうこう問題解決できるものではないのである。戦争末期に誰が指揮しようがなんとも勝ち目のない戦で、講和も終戦も誰も見通しがなくて継戦一択の袋小路の中で予備役になるなら何の後悔があるだろうか。
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