なぜ報われなかったのか?「賤ヶ岳の七本槍」平野長泰、知られざる不遇の人生とは?
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/95160cc860a2231229865e86870e9bf9296d7d04
「◯◯の七本槍」は勇猛な家臣が沢山いるということを世間に喧伝するための当時の定番キャッチコピー。姉川や小豆坂にも七本槍と呼ばれる面々がいたことが知られている。後世に伝わらなかった七本槍たちも沢山いたであろうことは想像に難くない。
七本槍は非常に語呂が良いのだけれども、同じくらいの勲功のやつが毎度毎度七人いるはずもない。七人に揃えるための数合わせとしか思えない微妙なメンバーというのは 大抵どの七本槍にもいる。平野もそういう経緯で七本槍になったのかもしれない。
もっとも、豊臣は出自がアレなのに天下人になってしまったので、譜代の家臣は幾らいても足りなかったのは間違いない。たとえ人数合わせであったとしても、譜代が重要な決戦で活躍した以上は活躍の場を与えて然るべきなのに、平野はどうにもスルーされがち。やはり平野は何かしら秀吉と合わない部分があったのだろう。
徳川からは大名級の扱いはされなかったけれど、旗本としては非常に手厚い待遇を受けていて、断絶しかかったときにも、当時の将軍家綱の異父弟が後を継ぐ形で残されている。やはり秀吉との相性が良くなかっただけで、武士としてはリスペクトされる存在ではあったのだろう。
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