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2026年02月06日12:21

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トラとら虎といえば<敦煌の莫高窟に描かれた中国古代のトラ><中島敦著『山月記』><アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』<ウィリアム・ブレイクの詩集『無垢と経験の歌』に収められた詩「虎」>【再】

大宮信光の日記

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トラとら虎といえば<敦煌の莫高窟に描かれた中国古代のトラ><中島敦著『山月記』><アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』<ウィリアム・ブレイクの詩集『無垢と経験の歌』に収められた詩「虎」>編集する
2022年02月06日17:50全体に公開 みんなの日記197 view
(The Tyger) の冒頭「虎よ! 虎よ! あかあかと燃える」 (Tyger, Tyger, burning bright) に由来<<


『虎よ、虎よ!』(とらよ、とらよ!、英語原題:Tiger! Tiger!)、あるいは『わが赴くは星の群』(わがおもむくはほしのむれ、The Stars My Destination)は、アルフレッド・ベスターが1956年に発表したSF小説。


目次
1 概要
2 あらすじ
3 SF設定
4 日本語版書誌
5 映像化
6 脚注
6.1 注釈
6.2 出典
概要
アレクサンドル・デュマ・ペールの小説『モンテ・クリスト伯』をモチーフとした壮大な復讐譚である。ベスターの長編第2作にして代表作であり、SFのオールタイムベストの定番でもある[1]。

かねてから『モンテ・クリスト伯』のような復讐譚を考えていたベスターが、『ナショナルジオグラフィック』誌でフィリピン人の船員の記事を読み、その記事を下敷きと導入部として用いた。それは第二次世界大戦中に漂流していたいかだが、ドイツ軍の囮である可能性があることから何隻もの船が船員を救助せず通り過ぎていったというものであった。そして、1956年にイギリスで "Tiger! Tiger!" のタイトルで書き下ろし単行本として出版された。次いで同年にアメリカのSF雑誌『ギャラクシー・サイエンス・フィクション』誌の10月号から "The Stars My Destination" のタイトルで4回連載された。一部では絶賛されたものの、発表当初は一般的人気は得られず、1960年代になってニュー・ウェーブのSF作家に影響を与えたことで再評価が進み、ベスターの最高傑作、アメリカのベストSFとの評価が与えられるようになる[2]。

日本では、1958年に講談社SFシリーズの1冊として『わが赴くは星の群』の書名で刊行された。1964年に早川書房のハヤカワ・SF・シリーズから再刊されたときに『虎よ、虎よ!』に改題された。1978年に刊行されたハヤカワ文庫版はカバーイラストを生頼範義が描き、2008年の新版では寺田克也に変更になった。翻訳はいずれも中田耕治による。

原題の "Tiger! Tiger!" は、ウィリアム・ブレイクの詩集『無垢と経験の歌』に収められた詩「虎」 (The Tyger) の冒頭「虎よ! 虎よ! あかあかと燃える」 (Tyger, Tyger, burning bright) に由来する。

登場人物たちの名前はイギリスの都市から取られている。

あらすじ
24世紀、人類には精神感応移動能力(テレポーテーション。研究者の名をとってジョウント効果と呼ばれる)が備わっていることが明らかになる。この能力の発見は人々の生活を激変させ、内惑星連合と外衛星同盟との戦争を引き起こす。

25世紀、いまだ続く戦争の中、プレスタイン財閥の宇宙船「ノーマッド」[注 1]は、火星と木星の中間地点で爆撃を受け、漂流していた。ノーマッド唯一の生存者であるガリヴァー・フォイルは、気密ロッカーに閉じこもって救助を待ち続け、170日間もの孤独な日々を耐えていた。

171日目に、同じプレスタイン財閥所有のV級輸送艇「ヴォーガ」が通過するのを発見したフォイルは救助信号を発信する。しかし、救助信号に気付いたはずのヴォーガは、なぜかそのまま飛び去ってしまう。その深い絶望とヴォーガへの復讐心が、元は凡庸な三等航海士に過ぎなかったフォイルを、強固な意志を持つ男へと変える。

試行錯誤の末に大破したノーマッドを動かすことに成功したフォイルは、サーガッソ小惑星群に住む科学人(前世紀の科学調査団の末裔)たちによって救助される。しかし、彼らが信奉する科学とは、すでに奇怪な風習へと変化しており、彼らによってフォイルは顔全体に虎のような模様、額に N♂MAD という文字の刺青を彫られてしまう。科学人の小惑星を破壊し、彼らの居住空間として使用されていたロケット艇で脱出したフォイルは、火星の軌道外9,000マイル (14,000 km)の地点で内惑星連合の宇宙海軍に救助される。

地球への帰還を果たしたフォイルは、ジョフリー・フォーマイルと名を変え、プレスタインに近づいていく。一方、プレスタインも行方不明となったノーマッドの積荷を求め、唯一の生き残りであるフォイルを追っていた。

SF設定
ワイドスクリーン・バロックの代表的な作品であり、様々なSFアイディアが盛り込まれている[3]。この作品で使われたジョウントや加速装置の設定は、後に様々なメディアで登場した(詳しくは各項目参照)。

怒りで顔に模様が浮き出るという設定は、石ノ森章太郎の漫画版『仮面ライダー』に影響を与えている。石ノ森版の仮面ライダーがマスクを被るのは、感情が高ぶると浮き出る模様(改造手術の傷痕)を隠すためという設定である。スイッチが奥歯にある加速装置という設定も、石ノ森の漫画『サイボーグ009』に流用されている。[要出典]
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%8E%E3%82%88%E3%80%81%E8%99%8E%E3%82%88!

中島敦『山月記』こじらせた男が虎になって吠えるお話
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更新日:2017/8/17

中島敦『山月記』こじらせた男が虎になって吠えるお話

国語の教科書にもテストにも頻出する『山月記』を知っていますか?

一度は読んだり、タイトルだけでも聞いたことがあるのではないでしょうか?

アオノは、高校生の時に授業で読んだだけで、ストーリーもぼんやりとしか覚えておらず……

とりあえず、人が虎になって、月に吠えるんだよね!というところまでは思い出しましたが、『山月記』ってどんなお話だったんだろうなぁと、先日久しぶりに読み直してみました!



中島敦著『山月記』とは
『山月記・李陵 他九篇』表紙

『山月記・李陵 他九篇』より「山月記」
中島敦(著)、岩波書店

唐の時代の中国に、李徴(りちょう)という、秀才がいた。
彼は自尊心が高く、官吏(国家の役人)という役職だけでは満足できず、詩人になり名声を得ようとしていた。しかし官吏を辞めてから、詩人としても芽が出ず、妻子の為に下級官吏として働きだした。

やがて李徴はその屈辱的な生活に耐えられず、発狂して姿を消した。

翌年、李徴の旧友であり、監察御史(官吏の行いや、地方の役所を、監督のために見て回る役人)の袁傪(えんさん)が、仕事での旅の途中、林の中で虎に襲われそうになる。

その虎はかつての旧友、李徴であった。



やっぱり人が虎になったお話しでした!
しかし、アオノの高校時代の記憶はここまで。記憶がアバウトですね!!

当たり前ですが普通、人間は虎にはなりません。小説とはいえ、いったい李徴の身に何が起こったのでしょうか?

かいつまんでご紹介します。



なぜ李徴は虎になったのか?!
2017-08-14-sangetsuki2

さて、袁傪と李徴、この2人は親友なのですが、袁傪は李徴が知らぬ間に偉い人になっていました。

李徴は偉くなった袁傪を見て「あいつは偉くなったのに、自分は虎になっちゃったし……こんな姿見せられない!恥ずかしい!」と草むらに姿を隠したまま会話をします。

でも、李徴がどうして虎になってしまったのか、それは袁傪も気になったのか、袁傪は思いきって李徴に訊いてみることにしました。

李徴が言うには、自分が虎になったのは「自分の内面にふさわしい姿」になってしまったから、とのこと。

それは一体、どういうことなのでしょうか?



自分の内面にふさわしい姿とは?
李徴はとても秀才で、若いころに良い役職についたにも関わらず、詩人になりたいと思っていたんですね。というのも、この李徴、あらすじにも書いたとおり、とても自尊心が高い人だったんです。

その自尊心の高さは、相当なもので「自分には才能がある」と固く信じていたわけです。

今で言ったら、ちょっとこじらせている大人ですよね。

なので、詩人として成功すると思っていたし、自分は他人とは違うから、自分よりレベルの低いひととは付き合いたくないし、平凡な人間だと思われたくもなかった。

しかし一方では、心のどこかで自分の才能を疑っている一面もあり、努力をすれば才能がないとばれてしまいそうで、詩を先生から習うことも、詩を書いている仲間と切磋琢磨して、腕を磨くこともしなかったんですね。

その結果、李徴は孤立していき、妻子を苦しめ、友人を傷つけてしまったのです。



それで結局どうなった?
結局李徴は、詩人になるぞ! と仕事を辞めたはいいけど、詩人としての芽も出ない。
家族を養わなくちゃいけないので、お金をかせぐために地方の役人になったはいいけれど、自分がかつて見下していた人たちが、自分よりも昇格していた。

その下で働くなんて屈辱だ! と思ってしまい、ついに発狂。そして、気が付くと虎になっていた、というわけです。



『山月記』と『人虎伝』が決定的に違うところ
2017-08-14-sangetsuki3s

『山月記』の元になっているのは『人虎伝』という中国の物語です。
登場人物は、虎になってしまった李徴、そして友達の袁傪なのですが、このふたつの物語、あることが決定的に違います。

それは、李徴が虎になった根本的な理由です。

『人虎伝』の李徴は、南陽の郊外で未亡人と恋に落ちたところ、未亡人の家族に咎められて彼女と会えなくなってしまいます。
それに腹を立てた李徴は、彼女の家に火をつけて一家を焼き殺してしまうのです。
李徴は人間としての心を完全に失くしてしまったんですね。虎になっても仕方ない……。

中島敦は『山月記』を書くときに、そのエピソードを丸々カットしています。
『人虎伝』では、家に火をつける、という非人道的な行いをはたらいている李徴ですが、『山月記』では、李徴の内面のみの要因で虎になったと考えられています。

そこがますます、「虎」という存在が、堕ちた自分自身の心によって変身してしまった獣だと感じられる『山月記』のおもしろいところだなと思います。



自分の中の「猛獣」を見つめる
2017-08-14-sangetsuki4

『山月記』の李徴はこのように言っています。
「人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣というのは、その人の性質や心である」と。

だから人間としての心を失った自分は、猛獣になってしまったのだと語ります。

しかし思い返してみれば、誰もが一度は、李徴のように考えたことがあるのではないでしょうか。
自分は他人とは違うと思い、尊大に振舞ってみたり、自尊心を傷つけられることを怖がり、やればできるのだと努力を怠ったり。

そういったものをコントロールできる者こそ人間であったのだと、李徴は考えるわけです。

あなたの中に「猛獣」は住んでいるでしょうか? またそれはどんな猛獣ですか?
誰もが抱えているだろう自分の中の「猛獣」を、一度見つめなおしてみるのもいいのかもしれませんね。



李徴は人間に戻れるのか!?
2017-08-14-sangetsuki5

文庫版ではわずか10ページほどの短い物語です。しかしその中で、人の内面を鮮明に映し出し、私たちに自分はどうなのだと、問いかけてくるような作品ですよね。

さて、こうして虎になってしまった李徴、はたして彼は人間に戻れるのでしょうか?

ぜひ読んでみてくださいね。



今回ご紹介した書籍
『山月記・李陵 他九篇』
中島敦(著)、岩波書店



日本文学に興味をもったら、こちらの記事も参考にしてみてくださいね!

日本文学って面白い!高校生までに読みたいおすすめの日本文学の名作
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
http://pro.bookoffonline.co.jp/hon-deai/bungaku/20170817-sangetsuki.html

敦煌の莫高窟に描かれた中国古代のトラ 甘粛省
新華社 2022/02/05 16:50
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敦煌の莫高窟に描かれた中国古代のトラ 甘粛省コピーライト 新華社 敦煌の莫高窟に描かれた中国古代のトラ 甘粛省
 莫高窟の蔵経洞で出土した唐代の絹絵「携虎行脚僧」。(資料写真、蘭州=新華社配信)

 【新華社蘭州2月5日】中国甘粛省敦煌市にある世界文化遺産、莫高窟(ばっこうくつ)では、どう猛でいかめしいイメージを持たれがちなトラが「百変化」して、千年前の生き生きとした姿を今に伝えている。

 莫高窟の蔵経洞から出土した絹絵「携虎行脚僧」では、まるで「甘えん坊の大きなネコ」のような姿を見せる。この唐代の絹絵には、経文を持ち帰った行脚僧とトラが共に歩く様子が描かれている。絵の中の行脚僧は草鞋履きで、経文を入れた大きな笈(おい)を背負い、一方の手に数珠、もう一方の手にはつえを持ち、沈着で剛毅なまなざしをしている。傍らに毛並みのよい丸々と太ったかわいらしいトラを従える。

敦煌の莫高窟に描かれた中国古代のトラ 甘粛省コピーライト 新華社 敦煌の莫高窟に描かれた中国古代のトラ 甘粛省
 莫高窟第92窟に描かれた黒いしまのトラ。(資料写真、蘭州=新華社配信)

 敦煌研究院の専門家は、この絹絵について、行脚僧を題材にした傑作で、緻密な筆致と上品な色使いで描かれていると説明。古代中国では行脚僧を題材にすることが画壇で流行した時期があったという。敦煌壁画や蔵経洞から出土した文化財のうち、行脚僧を題材にしたものは少なくとも20点。孤独で寂しく険しい道のりだが、愛らしくも勇敢なトラが終始お供をしている。

 莫高窟唐代第92窟の窟頂には、黒いしまのトラが描かれている。トラは「虎視眈々」ではなく、弱々しい姿で静かに座っている。説明によると、この作品は、釈迦牟尼(しゃかむに)の最後の説法を聞き悲しんでいる様子を表現している。

敦煌の莫高窟に描かれた中国古代のトラ 甘粛省コピーライト 新華社 敦煌の莫高窟に描かれた中国古代のトラ 甘粛省
 莫高窟第296窟に描かれたトラとシカ。(資料写真、蘭州=新華社配信)

 北周時代に開削が始まった莫高窟第296窟には、経変画「五百強盗成仏図」がある。山林でトラとシカがにらみ合っている壁画で、トラには色が塗られておらず、赤い顔料で輪郭のみ描かれている。絵師は少ない筆数で、鋭い耳ときらきら光る丸い目の猛獣を表現した。トラとシカは視線を交差させ、緊迫した雰囲気を醸し出している。(記者/張玉潔)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E6%95%A6%E7%85%8C%E3%81%AE%E8%8E%AB%E9%AB%98%E7%AA%9F%E3%81%AB%E6%8F%8F%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%9F%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E3%83%88%E3%83%A9-%E7%94%98%E7%B2%9B%E7%9C%81/ar-AATuCFN?ocid=msedgntp
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イイネ!(2) 雲外蒼天 埋草甚一(U.J.)
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埋草甚一(U.J.)
埋草甚一(U.J.)2022年02月06日 18:54削除
山月記は好きです。
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大宮信光
大宮信光2022年02月06日 23:01削除
「山月記」には、人間の「無限」に生きるつづけることへの願望そのものと、「人間の終局的な挫折」が描かれている見方があります(佐々木充『中島敦の文学』p125)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー

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