■真夏のスーツ、中は半袖シャツでOK? 意外と知らない「正しいマナー」とは
(まいどなニュース - 08月19日 07:40)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=262&from=diary&id=8438932
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近年、暑さ対策として「半袖シャツ」がビジネスシーンでも多く見られるようになりました。「半袖シャツを着ているときに肌寒い…」「ジャケットを着たいけどシャツの袖があると暑い…」などの理由で、「ジャケット×半袖シャツ」で着たい方もいるのではないでしょうか?
【動画】ジャケットの中は半袖シャツでもいいですか?
ですが、実は、ジャケットを着るなら半袖を着るのはNG。オーダースーツSADAの公式TikTokアカウント(@sada.tiktok.official)が、「ジャケット着用時のマナー」を詳しく解説しています。
「マナー違反」になる上、ジャケットの裏地が汚れやすくなる
そもそも、半袖シャツはジャケットを着ない前提で作られている「クールビズ用アイテム」。スーツスタイルにおいてはジャケットの袖からシャツが1〜1.5cmほど見えるのが基本の着こなしですが、半袖シャツだとそれができません。
長袖を着用している場合でも、袖が短すぎてジャケットからシャツが見えない場合は「マナー違反」にみなされることもあります。TPOに合わせて見えていない部分にも気を配ることが大切とのこと。
また、素肌(腕部分)にジャケットを着ると「ジャケットの裏地が汚れやすくなる」というのも、半袖シャツを中に着るのがNGな理由。ジャケットの裏地は人間の素肌に触れることを想定していません。人間の素肌から出る汗や汚れを吸収するのはシャツやアンダーウェアの役割だといいます。
▽出典
・オーダースーツSADA 公式TikTok/暑いので、ジャケットの中は半袖シャツでもいいですか?
・オーダースーツSADA 公式/半袖シャツはビジネスシーンで着用してもOK?暑い夏メンズの味方の着方をご紹介
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一般的にマナーと付ければ人が従うと考える人は多いものである。社会に流される、世間に流される、為政者におもねるの典型と言えるだろう。
先ず、マナーとは何か、それに従う根拠は何か。
勿論、法治国家では法で禁止されたもの以外に従う必要がない。そのためグレーゾーンは司法の場で決着するのが基本である。とは言え、法の支配がメソポタミア地域のハンムラビ(前1810-前1750)法典以前(ウル・ナンム法典(前2100))からあったとは言え、孔子(前551 - 前479)は道徳を前面に押し出したしカント(1724-1804)は哲学ロジックを用いて倫理を掲げた。
何に従うかは次第にエスカレーションする側面を持つ。そして従わないものは排除する論理が直ぐに成立する。目の前の餌を直ぐ食べてしまうような野生動物ほどその傾向が強い。マナーは約束事としては相当に低い場所にある。だから、どちらでもいいよ、と言えるものが多い。だからマナーと呼ばれるものは緩やかで簡単に守れるものが多いのである。それでも子供などは教育しないと身に付かない。その意味では灰を捨てた者は手首を切り捨てと主張した孔子とも通ずる。
簡単だからどちらでもいい。故に守らなくてもいいも論理だし、だから守った方がいいも論理になる。故に、守らるのが望ましい。一般的には、これはマナーだからという程度で主張を留める。が、中には絶対に守るべきと主張する人もいる。脳の回路に異常ありと心配すべきだろう。まじで脳ドッグを受けてからにした方がいい。
マナーの最も著名なものが食事だろう。天皇陛下の前での晩餐会ときたら、これはもうマナーの固まりと思われる。ここでトレーナーにサンダルで出席する猛者は相当なものだ。門前払いはその為にある。この場合はマナーはもう前面には出さない。ドレスコードという制約を設ける。
そういえばSNSに流れていたが日本の銭湯でtattoを禁止するのはそれがドレスコードだからだと説明するとだいたいの西洋文化圏の人は理解できるそうである。
マナーはエチケット、行儀、慣習、礼儀など緩やかな共通認識で人々を繋げる。故にマナー違反という呼び方は間違いである。マナーに違反などない。守らない事は別に違反ではないからである。従わないだけである。
しかし、マナーはひとつのコミュニティに属するかどうかを識別する機能がある。だから漫画やドラマなどでは、はしたない、下々のものはこんなマナーもご存じないのね、みたいな活用が頻繁になされる。
基本的にマナーをやかましくいう人はどの作品でも嫌な奴として描かれる。それを現実社会で主張する人がいるのだから、そういう人達は、漫画、小説、ドラマなどを殆ど読んだ事がない筈である。「人類が到達した最高点の教養を本当に知らなくていいんですか?」
だが、一部のマナーは不快を防ぐ上で立派に存在意義を果たす。食事などでの原始性の高い所作については尚更であろう。綺麗に食べなさい、静かに食べなさい、所がこれも文化圏、地域で異なる。全世界共通のマナーなどありえない。
背広は1600年頃に起源を持つが、基本的には19世紀に完成された服飾の一形態である。袖の形状を見ても、基本的にこれは冬服である。イギリスは夏でも湿気も気温も低い。元来が寒冷地。そこに進出するために肌のメラニン色素を落とし褐色脂肪細胞も活発化したと聞く。恐らくネアンデルタール人もそうだったのだろう。
しかし、アジア、中國、韓国、日本なども夏服はゆったりではあるが長袖である。半袖がない。そこに何らかの理由がある気がする。ひとつには虫対策かと思ったりもする。あと日焼けもあるか。
熱帯のアフリカやアマゾン奥地(ヤノマミなど)では余り服飾を着ない生活のようである。北極圏の近くに住む人たちは逆に毛皮を着こんでいる。インカやアンデスでも長袖は着ていない感じ。エジプトも布をまとう、ギリシャ、ローマも同じイメージ。キリストも布をまとっている絵画が多い。
コロモジラミの研究から人が服を着るようになったのが7万年前だそうである。調度この頃にDNAにも変化があって言語が発展したみたいな話もある。出アフリカもこの頃らしい。
間氷期である現在とはいえ世界は基本的に寒冷である。ヨーロッパでは中世の温暖期(10-14c)があったらしくグリーンランドにもバイキングが進出したらしい。服飾の一番の要素は気候であるが、どうやらイギリス人はアフリカやオーストラリアに言っても背広を着ていたらしいのだ。暑いのにどうしてと聞いたら、背広がカッコいいからだそうである。
流石、現在の世界の問題の殆どの起源と呼ばれるイギリスである。西洋はそういう文化圏だから、ナチスの服飾がカッコいいと投票して政権を明け渡した歴史を持つ訳だ(1932第一党になる,1933ヒトラー政権樹立、ワイマール憲法停止)。
カッコいいだろうがすきだろうが好きにすればいい。マナーなど、やるにしろやらないにしろ、探せばどんな事にも理由が見つかるものである。その理由がしょぼいなと思えばマナーと言えばよい訳である。大抵の人はそれで従う。根拠不足として異を唱える人は最初から馬鹿にしている。
マナーに従わないのは失礼という考え方が出来る人は相当に従順に優れた人であろう。普通は従わないか知らないかと考える。従わないなら何かのポリシーでもあるのかな、と考える。知らないなら、世間知らずか、こんなところに寄り道する暇もないほど何かに打ち込んでいるのかと思う。
かのシャーロックホームズでさえ、あの記憶容量には限りがあるなら無駄な知識は追い出す必要がある(not to have useless facts elbowing out the useful ones.)と豪語した稀代の探偵でさえ服装は相当なおしゃれさんで描かれるのである。矛盾!
相手が失礼と思うかどうかを決めるのは基本的に会う時の順列のよって決まる。上の立場の人は何事につけ失礼と思うものである。下の人は故に気分を損ねないように気を遣う。その時に役立つのはマナーである。マナーに従っていないのが原因ならそれは前もって準備できると考える。上の側はパジャマで面接した所で自分が失礼とは思わないものである。当然、面接される側もそうは感じない。当然である。
これらは全て階層構造において発生している点が重要である。ある意味で誰がどのコミュニティに属しているかを把握する手法となる。挨拶、礼儀、マナー、慣習、道徳、倫理などいずれも集団の中で発生しており、いずれも合理性はあるが、あっても天動説程度と見直し置けば間違いは少ない。
所が夏でも背広を着るのは慣習であって、それに従う人もいれば、職種上、従う人もいる。この常識外れの夏においても服飾関係者は何も声をあげない訳で、それを支えているのは、強固な服装に対する常識であるか、決して否。今も夏でも背広が切れるのは、当然だがクーラーの普及による。これがあるから背広は今も地位に維持できているのである。
だが当然として夏服の在り方には新しい提示が必要なのは間違いなく、夏でも長袖など人の好き好きの部類であって、半袖がみっともないというのは感受性以外に選択する理由はない。半袖がみっともない、嫌いはマナーではない。着心地と汗とのハイブリッドの問題であって、そこをマナーで押し通すのは殆どインパール作戦同様である。菊水作戦にも例えたいけれどこちらはちょっと巨大過ぎて手に負えない。スプルアンス、ハルゼー、ミニッツ万歳!物理的状況など知った事か、張ってでもいけ、手首だけになっても進めみたいな話でがどうしようもない。
結局は時代に即した新しい提案を誰もが欲している。必要なのはマナーの強制みたいな豆知識ではなく、笑われてもいいから快適に夏を乗り切る方法である。もう崩落に向かう積もりなら昔ながらのアイスクリンでも食っとけという話である。足らぬ足らぬは工夫が足りぬである。
恐らくこの夏場に相応しいのは中東や東南アジアの服飾であろうと思われる。だが、アラビアのロレンスみたいな頭からかぶる白い布は、どうにもこうにも背広でなくてもT-shirt + jeansみたいなラフな格好でも似合わない。これが不思議な事に麦わら帽子でも駄目だ。防止はもうキャップしかないが、必要なのは後頭部から首に日陰を生み出すアイテムである。野球帽は日除けにはならない。視線に直射日光を避けるためのアイテムだ。
被り物が駄目なので日傘一択な状況であるが、これは手をひとつ使うので、どうにもこうにも不便であろう。長期戦は戦えない。
だから首回りを冷やすネックリング、風を服装内で循環させるベルトファン、みたいな電動アイテムとして、シャードにファンを付けて帽子にそって頭皮に風を送り込めば結構いけるか?
マナーというよりこれらは違和感とか美意識みたいなところがある。幾ら効能があっても、少し躊躇するものが服飾にはある。この違和感の不思議さ。服装以外にはあまりない所も特徴的という気がする。
全ての服に愛を!
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