2025年2月18日(火)日本時間AM11:16、北海道紋別市。
渡部学はわかったんだよね。善と悪ってのはさ。
極論は自分自身に利得や有利であることであれば善と悪は自分自身の優良な出来事で変わる。
だが、渡部学もね。些細なことで誰かの悪になってるかもしれない。口は災いのもとってことだけど。
自覚あってしてる言葉だから。
渡部学がいくら善良であって害意、敵意、悪意がなくても、相関図をそうやって悪者にされりゃ敵わない。それを作る主犯が渡部学にとって悪だ。
綺麗事言っても、善良な人間同士なら善良な判断の基準で【善良な土台】で結局つく。最大は関わらなければいいだけ。
だがね。どんなに善良な人間でも、悪質な悪意や敵意を持つ自分自身に取っての厄害の人間は【自分自身の善良な基盤の土台で戦ってくれない】
だから、【善良な心を持ったままに悪の土台に自分自身も立ち、悪を用いて悪を抑止する】ことが必要なんだ。
当たり前だけどね。悪質な人間が善良な土台で戦ってくれるわけがない。
なのに、頑なに善良な土台で綺麗事言っても敗退は免れない。
前に渡部学が何がなんだかわからなかった頃、悪いことしてても善良な人はいるってそこなんだ。
自分自身取っての味方。
善良な心を持ってしても、【悪人と戦うには、悪人と同じ土台で方法で悪人が嫌がること撃退法を使い対峙しないといけない。】
【悪には悪を】
肉体的に痛い、苦しい、障害や病気ってのはさ。無差別に見えてそうじゃないってこと。
万人に取っての嫌なことってのはその戦いで、静かにあるんだね。
必要悪って善良な人にも必要なんだ。
未知の領域の最高峰が生んだ正義はそこにある。
暇プロ&総和会 HImaP&Σ 渡部学
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