■照ノ富士が引退会見、思い出の一番は「もう一度取った序二段の相撲」師匠「横綱昇進、ある意味奇跡に近い」と称える
(TBS NEWS DIG - 01月17日 14:19)
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大相撲一月場所六日目、この日、第73代横綱照ノ富士が現役引退を表明、現役名「照ノ富士」を名乗る年寄として協会に残り、後進の指導にあたることとなる旨発表されました。師匠である伊勢ヶ濱親方(第63代横綱旭富士)と共に両国国技館で行われた引退会見では、決断に至った理由や現在の心境などが語られたようですが、曰く、「これ以上この中途半端な気持ちと体で土俵に立つべきじゃないなと思い、引退することに決めました。14年間、本当に激しい相撲人生だったかなと振り返って思います」とのことで、初日に小結若隆景に屈して黒星発進となった後、師匠のもとへ向かい「もう1回負けたら自分の中で引退したい」と伝え、家族にも初日の夜に引退の話をしたとのことで、四日目の翔猿戦での黒星から翌日(五日目)に休場、そして、そのまた翌日である今日、引退と相成った次第。
照ノ富士と言えば、賭博、そして八百長の「二大スキャンダル」の影響から三月場所が開催キャンセルとなった平成23年の五月技量審査場所で、第56代横綱(二代)若乃花が師匠を務めていた間垣部屋(当時の貴乃花一門)で初土俵、「若三勝」の四股名でしたが、師匠(間垣親方)の健康上の事情(脳梗塞)で部屋が閉鎖、違う一門の伊勢ヶ濱部屋に移籍、四股名を「照ノ富士」に改名。順調に出世し平成27年五月場所で初優勝、場所後に新大関に昇進しましたが、両膝の痛みや持病の糖尿病などで休場が続き、番付は序二段に。ここから不屈の闘志で再起、令和3年の七月場所後に横綱に昇進すると言う、誰も成し得なかった復活劇を遂げました。
こうした未曾有のサクセスストーリーを歩んだ照ノ富士ですが、両膝の故障と糖尿病で休場も多く、それでも昨年(令和6年)は15日間出場した二場所にいずれも優勝、通算の優勝回数は10回を数えましたが、こんな波瀾万丈の土俵生活だからこそなのか、休場が続いても、土俵に上がれば結果を出すのがこの人の“横綱たる矜持”となったかもしれません。師匠は「やっぱり横綱に昇進したこと自体が、ある意味奇跡に近い状態」と語っていたようですが、「諦めなければ道は開ける」ことを身を持って示したことこそが、この人が残した「レガシー」かもしれません。“思い出に残る一番”については、「本当に序二段に落ちて、一番最初に序二段の土俵でもう1回立った相撲じゃないかな」とのことですが、これこそが、照ノ富士らしさかもしれません。
さて、空席となった横綱の座を狙う大関豊昇龍は昨日の照ノ富士戦で不戦勝の豪ノ山を送り出しに退け一敗を守り、全勝の王鵬は照ノ富士“最後の相手”翔猿を押し出しに仕留めて賜杯レースの先頭をキープしました。
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