2003年9月1日。送別会…翌日。
寮・社宅として借りていたアパートの片付けは大したことなかった。
片付けは苦手なのだが、そもそもあまり荷物がない。
服やら何やらを段ボールに突っ込んで、スパシオの荷台に積むだけだ。
何も考えずにひたすら突っ込んでいく。
生活用品の多くは春日部にあり、須坂にある私物は衣類とエロビデオぐらいのものだ。後はこちらで買い足した食器くらいか。
とにかく、会社備品以外は全てぶち込んだ。
何も考えずに全てぶち込んだ。
風呂場のカビだけできるだけ掃除して、退去した。他はまあ…いいか。
旅館にあるようなワンドアの冷蔵庫も、脱水壊れてる洗濯機も、古びた炊飯器も、俺が会社の金で買ってきた14型テレビデオも
みんな会社の備品なので。
大体はそのまま。
数日後に東京本部の人が来て、確認するとのこと。
えっと…
駄目だったら俺は片付けに戻ってくるのかしら?
結論からいうと数日後に電話きて大丈夫でしたと言われるんですけれども。
東京本部の事務のおばさん、トザワさんからは
「利根川さんの退職後に誰かが入るわけではないので、のんびりと…気が済むまで住んでもらって大丈夫ですよ」
と言われる
「じゃ、じゃあ70歳ぐらいまで…」
と言いたいところだがそうはいかん(ビッテンフェルトに辛く当たるラインハルト様みたいに)。
さっさと帰ろう。帰らなければならない。辞めた意味もない。
家賃45年無料の大チャンスをみすみす逃した事をこのあとずっと後悔する事になるのだった。
立ち退きの準備が出来たから、行こう。
…行こう。
靴…黒のリングブーツを履いて振り返る。昨日履いて帰ってきた革靴は手に持って車まで。
1年間見慣れた部屋の中…。お世話になりました。
…3階建てワンルームアパートの3階。
屋根のない外階段は冬になれば雪が踏み固められてツルッツルになり、恐ろしかった。手すりも雪積もって凍ってる。殺す気かよ。コロ助なり。
玄関入ると台所、奥に洗濯機。その先に洋室。バス・トイレ別。
追い焚きも出来る風呂は凍える冬には有り難かった。
便座は安っぽいものだが寒冷地なので温まるモノを採用しており、春日部のアパートとは一味違う。ウォシュレットは無し。
会社備品の洗濯機は脱水が壊れていて、部屋干しから水がボタボタと…段ボール敷いていた。
加湿できるからまあいいかと。
でもなんかカビそうで臭そうなので
「綺麗な白さスズランの香り〜ニュービーズ♪」
を使ってみた。
スズランの香りて何やねん。
花王さんもありがとう。
シノブが泊まりに来た夜も、ハラシマさんが泊まりに来た信州中野閉店の時も、俺が辞めると聞いて後輩(イチノセとユタカ)が泊まりに来た日も、
今は、いい思い出です!
「いい思い出です!」
最初は8畳(もっと広く感じていた)の部屋にカーテンも無かったから、扉を閉めてキッチンでエロビデオを見た、夏の日。
「夏の日!」
後輩が泊まりに来てるのに、エロビデオとオナホール片付いていない、あの部屋。
「あの部屋!」
今は、いい思い出です。
「いい思い出です!」
本当にありがとうございました…。
「さて…行くか」
無事に卒業式を終えた俺は旅立つ事にした。
SaltRiverHillと壁面に書かれた建物を後にしてスパシオに乗り込み、長野市内へ向かう。
スーツは後部座席の窓上に掛け、革靴は助手席の床に置いた。
割烹『加治川』さんの前を通り、長野電鉄の踏切を越え、居酒屋『はにわ』さんは既に違う店になっていたな…その隣のレンタルビデオの店…名前が出てこないな、の前を通過。
ここにはレアなエロビデオもあったのでよく借りていた。何度も同じ作品を借りていたのでキ◯ガイと思われていたかもしれない。
レンタル会員になるのに社宅の住所が分からないので警察署に行って自分の住所を聞いて不審者扱いされるという事もあったな。
飲んだあとだから23時とかか。お巡りさんも恐怖だっただろう。心中お察しします。ホント気の毒だな。
社宅のテレビが映らなかったのでここでアニメのVHSを借りてきては1週間かけっぱなしににするという事を1年間続けた(レンタル期間7泊8日…実際当時は2、3泊だったかも?)。
イニシャルDを見終えたら銀英伝へと移行、とにかく長い物をと。
全162話あるシリーズを無限ループ。返しては次を借りる
相当なオタクと思われていたことだろう。店員の間で変なアダ名付いてそうよね。
通い詰めたレンタルビデオ屋を通過した。
かっぱ寿司、CoCo壱番屋…百均。坂を下るように国道を長野市へ。全ての店に思い出がある。
長野市内に入ると万代書店。ここは深夜2時までやってたのでよく中古のエロビデオやゲーム、漫画を物色しに来た。ミヤシタさんと働いた日に夕飯がてら一緒に、ってのが多かったな。
『千成(せんなり)』らーめん。よく会社のみんなと夕飯に食べに来た。
この店にはフライドガーリックなどを混ぜた【千成チップ】というのがあり、チェーン店としてはかなり出来の良いラーメンにこれを乗せる事で深みが増すといいますか。
これ乗せた味噌ラーメンが大好きだったんだけど、
今(2024現在)は千成ラーメンさん全国に5店ぐらいしかないらしい。
見かけたら是非。とん太さんでも系列みたい。
国道406号を外れ、目的地へ。
ヤマグチさんが店長を務める徳間店へ車を向けた。
駐車場の裏、田んぼの先の地平に山脈が?見える。牟礼(むれ)というらしい。
今日は青空に緑がよく映える。
この店には数えるほどしか来たこと無かったが割と分かりやすい場所にあったんだろうな。
(2003)当時は車にナビも無かったけど、普通に慣れない場所も行ってたってのは…現在ナビ無しではどこにも行けない自分を省みるに、人間退化してるんじゃないかと思わないでもない。
「お疲れ様です」ガラス扉を押して入る。
有線の流れる店内に加工機の音が響く。
ぜったいまあすぐ〜にぃまあっすぐに〜進め…♪
何なんだろうなこの歌は…ちょいちょいかかるんだけど…
レンズを削る音とにんにくみたいなニオイ。
高いレンズは臭いので、なかなか良い物を売ったのだろうと推測される。1.71非球面…とみた。
「NLLXですか?」
ニュールックスエルエックス…日本が誇るレンズメーカー、ホヤさんが作った超薄型レンズ。である。屈折率1.74が最薄と言われるが、ホヤのがいいんじゃねえか?と玄人を唸らせる高品質らしいですよ、知らんけど。
「あ〜利根川さん、昨日はお疲れ様でした」
無視。いや、多分聞こえていない…きっと…
客はいない。ヤマグチさんは元気な声で迎えてくれた。
加工場でメガネを作っていた彼は、きりの良いところまで作業を終わらせると、売場へと出てきた。
奥の扉が開いてパートさんが頭を下げる、来客でないと確認して戻って行った。トイレ掃除でもしているのだろう。
「昨日結構飲んでたでしょう、大丈夫ですか?」
ヤマグチさんはニコニコしながら言う。
「ええ、大丈夫っすよ。実際なんか…なんか寂しかったりもして、あんま酔わなかったかもしれないすね」
俺が泣いてた事を、みんなは知ってるのだろうか。
「分かります。俺も前の会社辞めた時、凄く複雑でしたから、何なんでしょうね」
ヤマグチさんは笑ってみせた。彼もまだ20代の筈なんだけど、先輩というのは何故かとても大人に見える。
「今から帰るんですか?春日部」
ヤマグチさんに聞かれる。
「ええ…昨日ちゃんとお礼も言えなかったので、ご挨拶してからと思いまして、色々お世話になりまして、ありがとうございました」
ヤマグチさんは俺の3つ?上かな。
実家が須坂でメガネ店をやっていて、修行兼ねて大手メガネチェーンで正社員をやっている。
某メガネチェーンを辞めた後、当社にきたそうで。
俺が2年目で都内の店舗をウロウロしてる時に東京営業部に配属されていたので、新卒4月入社の俺達よりも半年〜1年ぐらい後にコバヤシさんと一緒に入社してきたと思われる。
前職もだいぶブラック企業だったそうで、店長までやっていたけど弊社に移って来たのだとか。
当社への就職後、大阪で社長の家に住み込みして掃除とかもやってたらしい。
東京でラウンダーとして勤務の後、長野エリアへの出店に合わせて信州中野店の店長に栄転、中野は不振で閉店して今に至る。
実家と戦うのは不都合があるという事で徳間のコバヤシさんが須坂に入って、ヤマグチさんは徳間の店長に。
という人事らしい。
会社では俺の方が先輩になるとは言え、新卒2年目の若造の俺を店長として扱ってくれましたし、困った事や技術的な相談など乗っていただき、長野メンバーの実質リーダーとして色々助けてくださいました。
「運転慣れてるでしょうけど最後まで気を付けてくださいね」
「はい」
死んだ方がいいかもしれないですが…
しばし雑談をしているとお客様が受け取りでご来店。預り証をピラピラしているので分かる。
「いらっしゃいませ!先日はありがとうございました。こちらへどうぞ〜」
ヤマグチさんはこちらに目配せすると商談用のテーブルの椅子を引いてお客様をご案内。
メガネのお渡ししている間に俺は店内をフラフラと歩く。
…。
頃合いか…、このお客様が終わったら行こうかな。
この店は早朝研修(無給)以外では来たこと無かったかな。。。、いや、一度コバヤシさんと飲みに行くのに迎えに来たか。
割とおしゃれな新店で、少し照明落とすとBarみたいだったな。。。
当初は売上も良かったが、競合の出店でジリジリと売上は落ちてきているようだ。
自社物件なので撤退は出来ない
とかいう噂だけど。大丈夫なのかしら。
研修で高額フレームを販売する為のロープレやって、ブチ切れているスーパーバイザー、ワタベさんの姿が思い出される。
ミヤシタさんとか、ボコボコだったな…。
18金素材や宝石のついた高額品、40,000〜200,000円のフレームを如何に売るか。
競合が無料レンズ付セット20000円で当社より良いレンズ付けてるのに
『5,000円でメガネが出来ます!』
ってチラシ打ってその客に高いのを売って業績を上げていこうという戦略はいかがな物なのか。。。
まあ…
無能な俺にはついていけないのだから辞めるしか無かっただろう…。
この会社に俺の未来はない。
仕方ない…だろう。
「ありがとうございました〜」
お渡しを終えたヤマグチさんは入口までお客様のお見送りをして戻ってきた。
「すいません、お待たせして」
メガネの栞というカルテ的なものやらを片付けて、こちらへ。
「ああいえ、やっぱりいい接客してますね。なんか信頼される感じありますよ」
お世辞ではなく、そう思う。
メガネ屋の店員は『技術派』と『接客派』に別れる感があるのだが、彼はとてもバランスが良い感じ。なのだ。
「また〜、何も出ないですよ」
ヤマグチさんは照れ笑いを見せた。
お客様を大事にできる仲間達。人として信頼出来る人達。
一緒に働けて良かったです。
同じ道を歩く事はもう出来ないけれど、みんなの事が大好きです。
みんなの事、昨夜の事も忘れないです。。。
残る方達に幸あれと願った。
駐車場に次のお客さんであろう車が入って来るのが見えた。
別れを、切り出した。
「じゃあそろそろ…行きますね。お元気で」
会釈程度に一礼をした。
「利根川さん、色々あったと思いますけど…」
ヤマグチさんの最後の一言は今も耳に残っている。
「長野を嫌いにならないでください」
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