HImaP&Σ 創始者、啓蒙活動家、渡部学(ワタナベマナブ)。
令和6年、2024年、7月17日(水)日本時間、PM2:26、晴れの日、29℃前後、真夏日、北海道紋別市。
未知の領域の話です。妄想強めの人の話として聞いてください。
もしかしたら、作り話の偽物語ではなく、真実の本当の話かも。本当にあった怖い話。
未知の領域と一言に言っても、様々がある。
その一番最初にタイムトラベラーがある。
それは本当にある。
ワタナベマナブの想像の話かはさておいて。
こんなことを話する渡部学ですが、実は現実にそこまで認知してるわけではなく、不完全で普通の一般人程度の日々しか過ごしてない。鋭くわかることはあっても、もうそれを表面に目立つようには反応しないはず。
そして、興味深い話。
この世の中で大勢いる。様々な意思で自由に生きてるようで実は全て必然の結果で人生を生きてると知ってますか?
1人1人はその絶大な力を発揮出来ず、複数の肉体を要する同一人物とか、複数の個体の人間の集団が色んな要素を生み出し、その1人の人生すら決まっていく。
必然の結果。
渡部学の想像の話には、人間1人の肉体内部にも、我々が見てるこの世界のように見えた肉体内部の世界がある。そして、それを認知してる人間こそ、肉体内部での役割を動かしてる。認知してない人間はその事実を知らず生きてる。合わせ鏡のような永遠のループのような話。
だが、この仮説が正しければ、資源の枯渇も実はなく、永遠に資源は循環していることになる。
だが、そうなると宇宙空間や宇宙の生命体の説明がつかなくなる。
なので、仮説を肯定的に解説できるものがない。
もしくは人間の脳を操る電波などが全ての人間を操る仕組みになってるのか?
両方とも事実としてあるのか?
全ては必然の結果と言う仮説。それは大勢いる1人1人がその人生になるようになっている。
寝ている時に見る夢も、何もかも必然であり、それにはちゃんと意味があるのだということ。
寝ている時に見る夢も、その内容はその1人の脳が勝手に作ってる夢ではあるものの。
意味や理由がある。そして、必然のもの。偶然てはない。
未知の領域を知ると、そういう壮大なことを感じる。たが、渡部学は一般人の普通の人間。普通の人間が把握出来て、生活するスタイルを変更できる範囲は少ないし、限界がある。結果決まった人生というか、そうなるべく人生の日々になる。
北海道紋別市以外にめったに出ることがない行動範囲で、普通の人間の収入以下の無職の透析患者がいくら、未知の領域を認知したからと、もうそれらを駆使してる権力者達には敵わない。
敵わないけど、必然性の結果と知ってから。
全てが必然であって、全てはその人に合わせた全ての絡み合う必然である。
最近では、昨日、7月16日(火)に紋別市の市民の湯 もんたの湯で友人と風呂に入り行ったあとに、車に行くと、カゴメの鳥の大群の糞が車に落ちていた。
これも全ては大いなる必然の意思の結果らしい。
意味が全てにあるとしても、渡部学にはその意味がわからないけど。
全て意味があって起きる、事実確定していく。
その人間が住む場所、人生、給与や市役所などに登録されてる個人情報などでもう管理されて、必然的に全てが決まってる。
そこに大きな権力や組織力が個人に対して動くのも必然である。
だから、最近では全て渡部学も気付くことはあっても、不幸も幸せも全て必然の最善が起きてると思うことにした。
それはつまり、個人の人間が都合悪い出来事も合わせて、それは大いなる集団の意思の絡み合う必然の塊。
偶然は一つもない。
偶然は一つもない。と思うと幸せも恩恵も全て必然に感謝する日々。
話がまとまってないのですが、伝えたいことは
【全ては必然】
全ては最適の最善の必然である。
未知の領域の駆使する人達には驚かされる。
過去の記憶が変わった感覚はない。なのに、思い出せる記憶も操られているのか?
そこにタイムトラベラーの印が記憶にある。それをタイムトラベラーのしたことだと裏付ける証拠はない。
思い出せる記憶や最近の記憶では細かく変わる事実の上書きに気付けるほど渡部学の能力は高くはないけど。
たまに記憶の残像で記憶の上書きに気付くことはあるが、その記憶の残像の感覚も時間の経過でその事実がわからなくなるし。
タイムリープは何度も経験してる。この時間を何度かわからないけど、繰り返した記憶がたまに過る。
だが、何が変わったのかわからないし、その繰り返した時間の瞬間の感覚がある時まで、それらに気付くことがない不思議。そういう瞬間がデジャブと言って、本当に繰り返しした時間の記憶の残像だと思う。
でも、渡部学には毎回、その感覚に陥る時には、二回は繰り返してるが、何度繰り返したのか?わからない。
なぜそれが起きてるのか?
様々な未知の領域を認知してから気付くことは多々ある。
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