「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」
「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」
今月の頭にお伊勢参りをしたから、当月中に多田大社と多賀大社には詣でに行きたいと思っていた。
元々は20日に行こうかと思っていたが、天気が悪いから延期にしていた。
そして今日、漸く天気の良い土日となったので遠征する事にした。
朝、5時過ぎに汁パレスを出る。
フレスコで糧食を購入して地下鉄の四条へ。
5時33分竹田行きに乗車した。
始発だがかなり混んでいる。
京都までは立って過ごす。
流石は18きっぷのシーズン。
京都に着いたら改札ダッシュでJRを目指す。
我々の乗り換え列車は5時48分発の米原行き。
既にホームには何人も並んでいる。
5時43分に列車が入線して来た。
223系の8連で、京都始発だから余裕で座れる。
京都を出て少ししたら、通路を挟んで隣に座っていた爺さんが
「間違えた、1時間も遅くなる」
「何でこんなミスを」
と際限なく呟いている。
スマホを弄っていたから、乗り継ぎの列車を調べていたのかも知れない。
元々、どの列車に乗る予定だったかも解らないが、降りて京都に戻る気配も無い。
ぶつぶつ言いながら、ずっと座っているから、乗る路線ではなく時間を間違えたものと理解した。
草津で下車。
6時16分発の柘植行きは221系の8連で、草津線ではかなりの長編成列車。
当然ながらガラガラで座席は選び放題。
草津を出ると、三上山が朝日に照らされている。
先週、姫路の蕎麦屋で呑んだ北島酒造のある町、甲西を過ぎる。
近江には旨い酒を醸す酒蔵が数多くある。
三雲で交換の為に8分も停車する。
223系の草津行きで、草津線にも、もう113系や117系などの国鉄形車輛が走る事は無い。
かつては京都から志摩地方、或いは南紀を結ぶ路線として。
或いは名古屋を結ぶバイパス路線としても重要だった草津線も、今はローカル輸送に甘んじている。
貴生川の手前、杣川の辺りに2人の撮り鉄がいた。
一人は畦道、もう一人は杣川の堤防で長玉を構えていた。
113系や117系も引退し、今や草津線で撮り鉄する様な列車も無いと思うのだが。
貴生川に到着して、彼らの狙いが解った。
構内に、223系R02編成「森の京都」ラッピング車が停車していたら、これ狙いだったのかも知れない。
調べたら、昨夜草津線に初乗り入れしたらしい。
普段の運用ではまず入らない車輛だから、わざわざ撮り鉄に来たのだろう。
貴生川を出て、信楽高原鐵道信楽線が右にカーブし、真っ直ぐに雲井越えへと進んで行く。
草津線も、段々と山が迫って来る。
油日を過ぎて三重県に入り、右から関西本線が迫って来ると柘植に到着。
油日には拝殿など多数の重要文化財が建ち並ぶ油日神社があり、一度は下車してみたい駅である。
7時9分発の亀山行きが既に停車している。
キハ120「お茶の京都」ラッピング車で、車内はほぼ満席。
以前、京都鉄道博物館からの返却回送を、山崎のサントリーカーブで撮影した事もある。
反対列車が6分遅れとの案内が入る。
加茂行きの列車が到着し、3分遅れの7時11分に発車。
加太越えの難所に挑む。
加太までは約9キロの距離で、25‰の急勾配が連続する。
かつてはスイッチバック式の中在家信号場が加太までの間に存在し、列車の行き違いなどに使用されていた。
蒸気機関車時代には、補助機関車を連結し加太越えに挑む列車を撮影しようと撮り鉄が群がったとか。
勾配を下り加太に到着。
加茂行きの列車と交換。
東海道の宿場町として名高い関を過ぎると、亀山機関区が見えて来る。
加太越えの為に設置され大量の蒸気機関車が配属されていた。
名残のターンテーブルも残っている。
広い構内の亀山に到着。
跨線橋を渡り7時49分発の紀勢本線伊勢市行きに乗車。
キハ25の4輛編成で、ロングシートの車内は空いている。
真宗高田派本山専修寺の門前町として栄えた一身田を過ぎると津に到着。
ここで8時23分発の快速「みえ4号」に乗り換える。
多度大社に行くには、わざわざ津を経由せずに亀山から関西本線の名古屋行きに乗車した方が早い。
しかし、津と四日市を短絡する伊勢鉄道がまだ未乗であるから、良い機会と思い乗る事にした。
キハ75の4輛編成で快速「みえ4号」が到着。
1号車は座席指定で残りは自由席。
しかし、座席はほぼ埋まっていたから、私はドア横で立ち席して車窓を眺める。
座席は、朝日が眩しいのかほぼ全ての窓にカーテンが引かれていた。
津を発車すると紀勢本線が左に離れて行き、高架へと入る。
伊勢鉄道は、元々は国鉄伊勢線として開業した路線で、亀山を経由して大回りしている四日市と津を短絡する目的で建設された。
しかし、国鉄による消極的な経営(普通列車は僅か7往復)の為に赤字となり、第2次特定地方交通線。
要するにバス転換が適当とされた廃止予定線にされて仕舞った。
結局、国鉄が消滅する4日前の1987年3月27日、第三セクターの伊勢鉄道に転換された。
その後、開業時には単線だった路線を一部複線化したり、列車本数を大幅に増やすなど利便性の向上に務め今では第三セクターの優良路線の一つに上げられている。
路線は優等列車を高速で通過させる路線ともあり速くて快適である。
快速だから次々と駅を通過して行く。
中瀬古で交換。
駅の周辺はソーラーパネルだらけ。
鈴鹿サーキットの模様である鈴鹿サーキット稲生を過ぎ玉垣に到着。
車庫が隣接されている。
ここで駅メモ的に伊勢鉄道を完乗。
鈴鹿でも乗客がかなり乗車して来る。
高架の下を近鉄鈴鹿線が走っている。
左から関西本線が迫って来ると河原田。
河原田を出ると関西本線が伊勢鉄道の上下線の真ん中に入って来る。
右から、貨物線や専用線が迫りコンビナートが見える
左側に、朝から大量に並んでいる人が見えた。
何やら大きな建物でもあるしイベントでもあるのかと思ったら、アピナ四日市と言うパチンコ屋だった。
貨物用の側線が拡がり南四日市で運転停車。
新宮へと向かう特急「南紀」が通過して行く。
近鉄名古屋線がオーバークロスしコンビナートから続く専用線が広いヤードに合流すると四日市に到着。
タンク車やコンテナが並んでいる。
四日市は近鉄の方が栄えているから、JRの四日市は近くにコンビナートが建ち並び、貨物列車の入れ換えの為のヤードが拡がり、どうしても場末感は漂う。
四日市からは重工業地帯。
富田では貨物駅の構内に太平洋セメントのタンク車が並び、三岐鉄道のED45形電気機関車が重連で貨物列車の入れ換え作業をしている。
員弁川を渡り近鉄が並走する。
ナローゲージの三岐鉄道北勢線が下を潜り大きくカーブしながら迫って来ると桑名に到着。
JR関西本線と近鉄名古屋線、三岐鉄道北勢線、養老鉄道養老線が集まる一大ターミナルである。
尤も、養老線も北勢線も、元は近鉄の路線だったのだが。
改札を出て、養老鉄道の乗場へと移動する。
既に9時25分発の大垣行きが停車している。
養老鉄道には初の乗車ではあるが、1997年の秋、近鉄時代に、乗車した事がある。
当時は近鉄の車輛だったが、本日は元東急の7700系の3輛編成。
真ん中の車輛だけ進行方向左側が転換クロスシートに改造されている。
9時25分、定刻に発車。
養老線は濃尾平野の西、養老山地の麓を揖斐川に沿って走る。
大垣に向かって左側にはなだらかな養老山地の麓。
下深谷で元近鉄の600系の桑名行きと交換。
赤い近鉄色で、個人的には此方に乗りたかった。
9時38分、多度に到着。
ここで駅メモ的に三重県の駅を全て取得した。
駅前のタクシー乗場にはタクシーはなく、配車を頼んでみても全て出払っており時間が掛かると言われた。
仕方が無いので多度大社まで歩く。
距離は1.8キロ程。
多度川に沿って西へ歩く。
途中、享保年間創業の鯉料理屋「大黒屋」の前を通る。
皇族や公家にも愛された老舗。
一度は行ってみたい。
更に歩くと、多度大社の鳥居が見えて来る。
碧志摩メグがご案内。
多度大社は、織田信長の長島一向一揆平定の際に、命を受けた大垣城主氏家卜全により堂塔伽藍が全て焼きつくされ焼失した。
しかし慶長10年、桑名藩主本多忠勝により再建され今に続く。
階段を上がり、記念撮影。
多度大社は随分と昔、中学生の時分に「水木しげるの妖怪文庫 二」にて紹介されていた「一目連」の項を見て、参りたいと思っていた。
伊勢(三重県)の桑名に《一目連》という山があり、この山から雲が出るとかならず暴風雨になり、昔は数百軒の家がまるで卵をつぶすようにつぶれ、地中へ6、7尺(約2メートルほど)埋ずまり、男が1000人かかってもゆるがなかった。また熱田明神の大鳥居が〈一目連〉のために、はるか彼方の野原にもっていかれたという。それ以来、このあたりの人は早くたおれることを〈一目連〉という。
中略
また、伊勢の桑名より2里(約8キロメートル)ばかりの香取というところに、多度明神という宮があり、ここの別殿に〈一目連〉というのが祀ってあり、これは昔からなにか大事があると助けてくれるといわれていた。
昔、大雨がふって川の水があふれ、村々は水びたしになり、やがて大きな家も小さな家もおし流されてしまった。村人は木によじ登り助けをもとめたが、風の音や水の音でその声はかき消され、だれもこず、助け舟もこない始末であった。2、3日して、もう死を待つばかりになったとき、村人はだれがいうともなく、〈一目連〉が現れて救ってくれるというので、みな手を合わせ、〈一目連〉に、どうか救ってくれますようにと呼び叫んだ。
その声は、水の面にひびきわたり、反響してものすごいばかりであったが、その夜半ごろから急に水が引きだし、村人たちはやっとのことで助かることができた。
以下略
当時から乗り鉄で地図を眺めるのが好きだったから、桑名辺りの地図を詳細に眺めると「多度大社」を見付ける事が出来た。
それ以来、お参りに行きたいと願っていた。
於葺門を過ぎ、多度川に流れる小川を渡ると本宮・多度神社と別宮・一目連神社が並んでいる。
「水木しげるの妖怪文庫」から30余年、漸く一目連様にようやくお参りする事が出来た。
御朱印を頂き、駅へと戻る。
10時40分頃に到着。
予定ではタクシーを利用し、10時19分の大垣行きに乗るつもりであったが、やはり徒歩だと無理だった。
10時59分発の大垣行きに乗車。
元近鉄の600系だが、オリジナルの近鉄色ではなく、大垣ケーブルテレビのラッピングだった。
再び濃尾平野の西端を、淡々と進む。
多度を過ぎると岐阜県に入る。
美濃山崎で、近鉄南大阪線ラビットカー色の600系と交換。
撮り鉄したいが、車内からでは不可能だった。
駒野から揖斐川を離れ、支流の津谷川に沿って走る。
緩やかな勾配を上がって行く。
そして養老に到着。
そこかしこに瓢箪が飾られている。
ここで桑名行きと交換。
600系を期待したが、来たのは元東急の7700系だった。
詰まらん。
養老を出ると、養老山地から離れ濃尾平野の中心へと向かう。
車庫のある西大垣で真っ赤な近鉄色の600系と交換。
実にタイミングが悪い。
車庫にも赤い600系が何編成か留置していた。
そして11時53分、大垣に到着。
ここから先、揖斐方面へは乗り換えになるが、次の揖斐行きは12時35分。
50分程待ち時間がある上、折り返して来た列車の大垣着は13時40分。
乗車予定の13時41分発米原行きには到底、間に合わないから、今回は諦める事にした。
多度発10時19分の大垣行きなら、揖斐行きの接続も良く往復出来、大垣でも時間を取れたのだが。
無理矢理、伊勢鉄道乗り鉄の旅を組み入れたから仕方が無い。
大垣で途中下車して、大垣城を目指す。
駅前の大垣共立銀行では、青春ブタ野郎シリーズ「青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない」とのコラボ「青春ブタ野郎は大垣の街をまだ知らない」の案内をしている。
JR東海の制服を着用している桜島麻衣が可愛い。
そして関ヶ原決戦前夜の石田三成も。
10分程で大垣城。
戦前は国宝(旧国宝、現在の重要文化財)に指定されていたが、戦争末期の大垣空襲で灰塵に帰した。
そして、これ程の名城が何故か日本百名城に入っていない。
何かイベントやっているのか、コスプレイヤーが何組かいた。
私も衣裳があれば…
ただ、他の城と違い敷地はかなり狭い。
撮影には苦労しそうだ。
天守には、200円で入る事が出来る。
しかも、郷土資料館にも入れると言う。
それなりに混んでいた。
火縄銃まなにゃー。
火縄銃を構えて写真が撮れる。
他にも槍や弓も実際に触る事が出来た。
城内の展示品に、大垣藩藩札もあった。
是非、藩札なども臨都閣下のコレクションに加えて貰いたい物だ。
そして、大垣市が製作した「水の都おおがきたらい舟」と「おあむ物語」を、現在と戦国時代をリンクさせながら紹介するオリジナルアニメ「おあむ物語」の紹介。
大垣市の見方が少し変わって来た。
城内を見学したあと、郷土資料館へ。
大垣藩主戸田氏に関する資料や、様々な山車が巡行する大垣祭のに関する資料、そして関ケ原合戦図屏風「津軽屏風」のレプリカなどが展示されていた。
大垣祭は、からくり仕掛の山車が多数あり、一度は見てみたい。
時間があれば、奥の細道むすびの地・水門川と住吉灯台なども見学したかったが、時間の都合で駅へと戻る。
大垣には、美濃路大垣宿本陣跡や中山道赤坂宿お茶屋屋敷跡。
更に川港の赤坂港跡など見所が多数あるので、また遠征してみたい。
少し時間があるから、駅前にある宝暦5年創業「つちや」に寄る。
自前で柿農園を持ち、柿を使った菓子、特に柿羊羹が有名。
アンバサダーの声から生まれた柿のお菓子詰合せには「閣下が好きな人セット」と「柿が嫌いな人セット」があって面白い。
是非、石田三成公にプレゼントしてみたい。
結局、まなにゃーデックスさんが柿を使ったお菓子を色々食べたいとの事で、単品で色々と選ぶ。
そして、大垣銘菓の水饅頭も。
大垣の構内にも桜島麻衣がいた。
13時41分発の米原行きに乗車。
313系の4輛編成で、瞬く間に座席は一杯に。
立ち客もかなりいる。
関ヶ原を越えて滋賀県に入り米原に到着。
14時29分発の網干行きに乗車。
225系の8輛編成で此方もかなりの混雑。
米原の構内に、EF66電気機関車に連結されたDD200ディーゼル機関車が停車している。
佐和山を避ける様に走り彦根に到着。
14時53分発の近江鉄道貴生川行きに乗り換える。
彦根から往復で乗車券を買う。
駅員がやたら親切で「多賀大社でしたら、高宮で乗り換えです」と案内してくれる。
列車の到着を待つ間に、先程のEF66電気機関車とDD200ディーゼル機関車が通過して行った。
高宮で多賀大社前に乗り換える。
二駅で終点の多賀大社前に到着。
多賀大社には、既に何度もお参りに来ている。
駅前から10分程で多賀大社の大鳥居に着く。
大鳥居を潜った先にある反橋が、通行不可になっていた。
多賀大社拝殿にてお参りをする。
多賀大社の祭神は伊邪那岐命と伊邪那美命。
「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」
お多賀さんに参ったら、糸切餅を頂かねばならない。
明治12年創業の元祖莚寿堂本舗へ赴く。
元寇の際に、多賀大社では蒙古軍の旗印を作り、それを断ち切り埋めることで日本の戦勝を祈願した。
それにあやかって門前町の住民が蒙古軍の旗印に見立てた縞模様の餅を弓の弦で切ったのが糸切餅の始まりと言われている。
かつては糸切餅を扱う店が40軒程あったそうだが、今では元祖莚寿堂本舗の他、明治23年創業の本家ひしや、昭和26年創業の総本家多賀やだけになってしまった。
因みに本家多賀やは、元は江戸時代創業の呉服店だと言う。
多賀大社前には16時前に着いた。
既に16時27分発の高宮行きは停車しているから、のんびりと車内で待つ。
段々と混み合って来て、定刻に発車。
高宮で16時37分発の彦根行きに乗り換える。
此方はかなりの混雑振りで彦根までは立って過ごす。
彦根から再びJRに。
16時52分の新快速播州赤穂行きに乗り換える。
4分遅れで到着。
車内はかなり混雑しており、高槻まで立ち席。
まなにゃーデックスさんは座っていたが。
新快速は最高速度130キロで走るから、立っていると揺れが伝わり、なかなか辛い。
高槻には18時前に到着。
アフターは「ぱすとらる」へ。
予約しておいて正解。
満席だった。
ワインは、偉大なる大ドイツ。
ピースポーター ミヒェルスベルク リースリングをチョイス。
ドイツらしいやや甘口の白が、今日の様に暑く疲れた日に心地良い。
先ずは、シェフのきまぐれサラダ。
疲れた体に野菜が染み渡る。
続いて、自家製ピサ 生ハムプレーン。
生ハムもさる事ながら、このピザ台の旨さは筆舌に帰しがたいものがある。
他のピザ専門店でも、ここまで旨いピザ台は無い。
そして、まなにゃーデックスさんが食べてみたいと注文した鯛のポワレ 粒マスタードソース。
造りに出来る位に新鮮な鯛をポワレ(カリッと香ばしく焼き上げる調理法、フライパンに溜まった熱い油をスプーン等で掛けながら焼く)に、風味豊かなマスタードのソースが絡み合い、えも謂われぬ旨さ。
そして、メインには「カイノミ(バラの中でフィレに近い部分)のロースト」と言っていたのだが。
鴨の誘惑に負けた。
フランス産鴨胸肉ロースト ぱりぱりサラダ仕立てを頼んでしまった。
鴨の旨みは血の旨みで、フランスでは血抜きをせずに窒息させる。
ミディアムレアにローストされた鴨からは、血の旨みが迸る。
そしてチリのセントヘレナを追加で。
まなにゃーデックスさん大好きな、オムライス。
ぱすとらる風オムライスも、余所には余り無い。
リゾットでもくるんでいるのかと思う様なトロトロのオムライスは、ライスオムレツとでも言いたくなり、ワインに実に良く合う。
添えられたガーリック醤油が、また実に良い仕事をする。
最後に、本日のパスタ。
オーソドックスなトマトとベーコンのパスタだが、こう言うありふれたメニューだからこそ、シェフの力量が解る。
茹で方からソースの味まで全てが完璧。
実に満足した。
店を出たら既に20時を回っていたので、ドエルには寄らずに高槻市駅へ。
混んだ特急ではなく、準急に乗車。
のんびりと座って、帰宅した。
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