mixiユーザー(id:2066908)

2024年03月11日17:39

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あれから13年

毎年思うけれど、黙祷の時間が長く感じられます。
実は この黙祷の時間は、あの地震で揺れていた時間なのです。
東北地方太平洋沖地震が発生して、13年なのですね。
振り返ると あっという間に過ぎたように思われます。
あの頃は 繰り返し発生する地震に怯えながらの毎日でした。

私は左足の両関節骨折で、2ヶ月半入院していたので、車椅子と松葉杖で過ごしました。
最初は車椅子生活で病棟の移動を行っていましたが、退院の二週間前から松葉杖で移動になり、リハビリ室では松葉杖なしでの歩行訓練でした。
退院してから なんとか支障なく日常生活は送れますが、
地震や水害等の災害では 健常者のように 機敏に動くことができません。
そのような時は 他の方々の助けが必要です。
東日本大震災で経験済みです。

 3月11日に発生した東北、関東地方太平洋地震では東北地方の太平洋沿岸地域では大被害を被りました。私の職場は避難所となり、大勢の人々が避難してきました。
 石巻市や東松島市の人々も地域の避難所が飽和状態だったので、こちらの方に避難してきた方々もおりました。
 水道や電気が止まりました。当時、私が勤務していた施設は高台にあり、耐震がいきとどいた新しい建物だったので、多くの人々が避難してきました。
 沿岸部にある消防署の消防車両や救急車もこちらに避難して運動公園管理事務所は消防署の対策本部となりました。その後、地元の消防団の方々が来て、自家発電で起こした照明で室内を照らしてくれました。誰かが持っていたトランジスタのラジオが唯一の情報源でした。
 しばらくしてからおにぎりの配給があり、500人の人々におにぎりを配りました。
 長い時間、並ぶのが困難な高齢者には直接渡しました。駐車場まで行って車の人々にもおにぎりを渡していたスタッフもいました。 翌日は出荷間近の大量のトマトの時もありました。
 時折聞こえる防災無線からは大津波と町の中央を流れる川の氾濫を警戒するアナウンスが何度も聞こえて注意を促していました。
 大津波警報が解除されたのは3日後だったでしょうか。
 前年の平成22年12月に左足を骨折したので、平成23年2月28日まで入院していて、3月9日まで自宅静養して、3月10日から職場復帰して2日後の事でしたので、私も大変でした。
 怪我をした左足首が腫れてしまい、松葉づえで歩いていました。
 地震後、半月過ぎてからmixiをみたら私の安否を気遣うコメントが寄せられており、大いに励まされました。
 地域によっては海岸線から9キロ先まで津波が押し寄せて、多くの人命を奪っただけでなく、地域の人々が長年、慈しみながら積み上げて築き上げてきた地域の文化が、わずか一日で崩れ去りました。
 私の住んでいる地域は他の地域とは違い、大きな被害はなかったのですが、人との会話は津波の話ばかり、日を追う毎にテレビや新聞では報道されない、悲惨な出来事が聞こえてきました。 電気は早くても一週間後、水道は早いところでも2週間後の復旧でした。
 震災から何ヶ月は道路には警察、消防車両、自衛隊や大型車の復興車両支援車のひっきりなしの往来がありました。
 ローカルのテレビ等のマスメディアでは復興に向かい前向きに生きている人々のことが今でも毎日のようにとり上げられています。
 それをみながら私も頑張ろうと自らを奮い立たせている毎日です。
 あれ以来の数ヶ月はp私の日記も被災地報告のようになってしまいました。
 職場や施設だけでなく、駅のホームや仙台七夕、定禅寺ジャズストリートフェスティバルでも全国からの励ましのメッセージが数多く寄せられていました。励ましのメッセージでどれほど勇気づけられたことでしょう。ありがとうございました。
今でも忘れられません。

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