HImaP&Σ わたなべまなぶ
2024年3月3日(日)AM0:34
生け贄とは
昔から言い伝えがある。戦国時代や神話などで神々の怒り、自然災害から守るための生け贄。
我々はそう教えられてきた。無知なゆえに。
いつから我々は無知ゆえにそうなったのか?
欠落人間として産まれたからか?
病気とは自然発生するものではなく。人間が作るもの。
人間が知らず知らずに作るものは当たり前だが。
自然に不運で発生するわけではない。
未知の領域を知って思った。
わたなべまなぶは今は幸せだ。だが、断じて完全に幸せをコンプリートしてるわけではない。
病気という状態である。透析療法なしでは生きることが出来ない身体。
でも、資源の変換という言い方をわたなべまなぶはする。
人間が人間の資源を作る。これも当たり前だが。
わたなべまなぶが言ってるのは、もっと不思議な内容である。
が、今回は説明はしない。
奴隷とは思ってない我々だ。自由に生きれてると思ってる。
病気の人が生け贄だと思ってない。未知の領域を駆使出来る人達の攻撃であることを知らない。
だが、無知なゆえに、病気の本当の発生起因を知らぬがゆえに、悔やむことはあっても、誰かを恨んだり、憎んだりはしない。仕方ないことだと思えるのが幸いかもしれない。
わたなべまなぶも知りゆくうちに、我々は無知であることでこんなにも損してるのか?
でも、それは権力や強さや能力が劣性ゆえなのだと知る。
仕方ないことは、未知の領域を知っても変わらない。
変わらないけど。知ると、怖くなることもある。
タイムリープとか姿を化けるとか、人格の遺伝憑依とか。
そういうのより、生け贄って本当はどういうことで?
我々は知らずに生け贄だとも知らずに生き、奴隷だと思うこともなく、それぞれの人生として納得して受け止めて生きてる。
しかも、人間は必ず死ぬ。死ぬのは恐怖である。
それは自分自身の記憶や意識が消える消滅をイメージするからだ。
痛みや苦しみを耐え地獄のように苦しみ衰弱した挙げ句に力尽き死ぬ。
これが恐怖だ。心身ともに痛みや苦しみの恐怖、消滅の恐怖。
死んだら消滅しかないとわたなべまなぶもずっと思ってた。
だが、未知の領域を知り、永遠に生きるという概念は肉体の一つの個体での永遠の命と老衰がしないというものが普通の我々にあった考え方。
だが、永遠に生きる方法と、その概念はいくつかあることを知った。
だが、知ったところでわたなべまなぶの運命も変わらない。
知ったところで生け贄や奴隷だと知らずに生きる人達しかいない。
生け贄とは、実は病気の人間達のことではないかと思う。
肉体的に痛みや苦しみがあるくらい、衰弱していくぐらい肉体内部での資源収穫や密猟などが行われてるのだろうか?と想像する。
わたなべまなぶは一般人だ。普段は普通の人間通りに過ごす。
だが、本当はここでSNSで語るように、未知の領域への理解をしてきてる。
知らないことは時として、良いこともある。
知っても変わらないけど。自分自身の地位の低さ、状態の運命など。
わかると悔しいことはある。
だが、その悔しいことに囚われてしまい、世の中を呪っても幸せな人生にはならないのだから。
単純明快に普通に幸せに楽しく生きることに、結果的に行き着く。
未知の領域を駆使出来る人達には何一つ敵わないのだから。
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