太平洋戦争の折に従軍して、北支にて戦死をされた人が我が家の家系にいます。
その方の遺品が出てきました。写真(軍服姿)1枚、名刺1枚 手帳1冊、小物2個。
写真は軍服と帽子を着用し、胸には勲章を着けて右手には軍刀を抱えています。
写真の裏側に、伍長 氏名石川正二、住所 静岡県磐田郡中泉町坂の上547
母親の名 石川きくと記しています。名刺は氏名のみです。住所のみ記載。名刺の
裏面に女性の名前と住所が記されています。
手帳が1冊、中泉の機械工具屋のサービス品の手帳です。裏表紙に印刷されている暦
は昭和12年の祝祭日です。出征祝いを頂いた方か名前が掲載されています。140名余
の名前が記されていました。後は9月二十日 第一報送信 9月30日第二報送信10月
3日第三報送信 と控が書き残されています。
その他は住所録が11名分が残されています。豊橋、新居、ですが広島県の住所の方も
3人記録されていましたね。広島市内平塚町の方です。
小物ですが、軍票というのですかね。銅の板を楕円形に打ち抜いたものです。
表の面には 文字がタガネで打刻されています。右がわから「歩一八」「中 二」
「番 八 八」と刻印されています。歩兵十八連隊 中隊 十八 番号 八十八番
と読むのだろうね。遺骨と一緒に帰還したんだろうね。もう一つは仁丹のケースです。
金属製の仁丹を入れるケースで、大きさは35x40で、蓋をヒンジで繋いでいて、開け
ると鏡が表れます。鏡もヒンジでめくる仕組みで、開くと仁丹を入れる容器が見える。
容器の入り口の形がハート形です。女性からのプレゼントだったのかもしれません。
表には仁丹の人形の絵が刻印されて、ニクロムメッキが施されており、新品の時は
綺麗だったろうと想像します。住所録には色街 登美の家 照美 の名前もあったね。
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