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2024年01月17日12:59

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当時、被災していないお子様だった私

■世代超え語り継ぐ、誓い新たに=能登地震の被災地と「ともに」―阪神大震災29年
(時事通信社 - 01月17日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=7714028
 中2の冬。厚生JRC委員会という、赤&緑の羽募金やベルマーク集めなどをする委員だった私は、阪神大震災の後も、学校の廊下で募金箱を持って立った事があった。1月の新潟は屋内でも寒かったけど、仲間とワイワイやっていてなんだか楽しかった。

 それから8年後。23歳で工場の派遣社員になっていた私は、ある土曜日に午前中だけ休日出勤をして、午後から地元のシネコンで映画を見ている途中で震度5強の揺れに襲われた。新潟県中越地震だった。自分や家族には被害がなかったけれど、余震が続いてストレスで身体がおかしくなった。
 その3年後。連休の最終日で家にいたら、やはり震度5の揺れが来て、生まれて初めて目の前でテレビが台から落ちる所を見た。新潟県中越沖地震だった。この時に働いていたのが柏崎の工場で、自宅より会社が被災していて、片付けが大変だった。
 東日本大震災が起きた時、私は31歳で、介護職に転職していた。小規模多機能で入浴介助をしていた時に揺れを感じ、その時に介助していたおじいさんは、身体を洗っただけでちゃんと湯船で温まる事ができないまま、急いであがって服を着せた。

 阪神大震災の時は、地震に気づきもせずに寝ていた私だけど、その後で色々災害を経験した。被害は受けなかったけれど。でもライフラインが止まる苦痛を味わっているので、できればお風呂のお湯はぬかないでおきたいのに、何度言っても朝に風呂掃除をしてしまう夫。今まで災害を経験した際の共通点は、助けてくれる人はいないという事。自分はいつでも誰かを守らなければいけない立場であり、私を守ってくれる人はいないのがわかった。
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