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2023年12月03日18:30

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今福の戦い の雑感

大坂の陣で幕臣から嫌がらせをされた佐竹義宣と義宣を救った上杉景勝の名誉回復戦
https://trilltrill.jp/articles/3386803

岩明均の「雪の峠」の主人公として有名な渋江政光が戦死した、大阪城冬の陣・今福の戦いのダイジェスト。

外様ゆえに難所の占領を命じらた佐竹義宣。前線指揮をとった家老の渋江政光の活躍で一旦は占領に成功するが、後藤又兵衛と木村重成による反攻で渋江政光が戦死。総崩れ一歩手前にまで追い込まれる。

そこに同じく外様組の上杉景勝が救援。それなりの犠牲を払ったものの大阪方を撤退に追い込み、秀忠が感状を出して、上杉も佐竹も何とか面目を保った

…のだけれども、上杉の軍が見事に統制が取れていたのに対して、渋江戦死以降の佐竹は統制グッチャグチャで、他所の家中からも「佐竹は油断しすぎ」と言われる始末。せめて自分たちの中だけでは面目を保ちたかったのか、佐竹家の記録には上杉に救援してもらったことは書かれていなかった みたいな話。


佐竹は「雪の峠」で描かれた川井事件で、義宣や政光に反抗的だった武断派家臣を粛清している。大名権力の確立のためには避けて通れない道ではあったのだけれども、それが原因で戦闘力が低下していたかもしれない。渋江政光が戦死してしまったのも、前線で直接指揮をとらないと統制取れないような状態だったからではないだろうか。

景勝も相続直後に粛清を大規模にやっているのだけれども、こちらは特に戦闘力が低下したという話を聞いていない。その辺が景勝の実力というべきか。


佐竹に意地悪した安藤正次。父は玉砕した伏見城守備隊の一人。正次は秀忠側近として活躍したが、夏の陣で伝令将校をやっているときに敵と遭遇戦になり、致命傷を負ったため自害。

伊東政世は、曽我兄弟に殺された工藤(伊東)祐経の末裔。日向に移り住んで後に戦国大名になった一族が有名だが、伊豆に残っていた一族もいたという話。子孫は旗本になった。

屋代秀正は元武田家臣で、真田丸の「黙れ小童」で有名になった室賀正武の弟。屋代家の跡取りになっていた兄・正長が長篠で戦死して、代わって屋代の跡取りに入った。いわゆる天正壬午では兄・正武とともに一貫して徳川方。上杉に居城を奪われた挙げ句、上杉に通じた真田に兄・正武を暗殺されると、一族で出奔して徳川に身を寄せた。子孫は大名となり、幕府の役職についたが、そのために出費がかさみ、領民への負担が重くなって、ついに大規模な一揆「万石騒動」に発展。不行き届きとして大名から旗本へと格下げになった。
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