三重 伊賀「どうする家康」”伊賀越え”の地元で鑑賞会
https://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20230731/3000030762.html
あっという間に「修羅の国」扱いされていたわけで、地元民どんな顔して見てたのだろうかと思わないでもない。伊賀衆に比べて、甲賀衆が普通にいい人たちだったのもウッとくるところ。
作中で知らん人扱いされていた半蔵。実際の所どうだったのだろうと思ってウィキを見ると、「百地」「藤林」に並ぶ上忍「千賀地」の一族で、親の代に先祖の服部姓に戻した みたいな書き方。であれば、それなりに顔が利くはずなのだけれども、半蔵の息子の記事には「家格が低くて伊賀者からの人望がなかった」みたいに書かれているわけで、さてどうなってるんだと。
服部正成の父の謎
https://ninja-yakata.hatenablog.com/entry/2015/12/04/193700
で、たどり着いたのが この考察記事。半蔵の一族と千賀地は全く別の一族だったのだけれども、千賀地系の服部氏が幕府に仕えるときに、家系図を弄って半蔵の一族を取り込んでしまったのではないか という話。確かに指摘されているとおり、千賀地の一族の通字「保」が半蔵正成には入ってないわけで、おかしいといえばおかしいのだよなと。
この説を採るのだとすると、確かに百地丹波からすれば「あんた誰?」だよなと。
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