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2022年11月28日18:34

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一条能保 のメモ

一条能保
頼朝の同腹妹・坊門姫の旦那。坊門姫との間に4人の子(ただし男子は高能のみで、その高能も早逝)、その他の複数の妻との間にも7〜8人の子供をもうけた。

九条頼経
一条能保の曾孫で、四代目鎌倉殿。一条能保と坊門姫の孫同士の結婚という濃縮還元で生まれた。成長するに従って、得宗家への抵抗勢力の旗頭として求心力を持つようになり、後の宮騒動や宝治合戦の要因となった

西園寺公経
一条能保の娘婿で、九条頼経の祖父。頼朝の命の恩人である平頼盛(池禅尼の子)の血を引く上、坊門姫の娘の旦那ということで、鎌倉からは格別の扱いを受けた。孫が鎌倉殿になるということで 承久の乱の際も鎌倉方の姿勢を崩さず、朝廷方から身柄を拘束される。乱後は朝廷の実権を握る。

一条信能
一条能保の子。後鳥羽の近臣として承久の乱では朝廷方に付き、幕府によって処刑される。

一条実雅
一条能保の子。実朝の側近になるべく東下りしてきた面々の一人で、実朝暗殺の際にも八幡宮に居合わせていた。実朝死後、後継が親類である九条頼経ということで、側近候補としてそのまま鎌倉に留まり、承久の乱を逃れる。
義時と伊賀の方との間にできた娘を妻に迎えていたため、いわゆる「伊賀氏の変」の際、伊賀氏が次の鎌倉殿に据えようとしていたと言われる。現在では事実だったか疑問視されている伊賀氏の変だが、実雅が伊賀氏失脚の前後に失脚している形跡があるのは事実。

尊長
一条能保の子。承久の乱では朝廷方。数年の逃亡生活の後に捕縛→処刑されているが、その際に「伊賀の方が義時を毒殺した」という主旨の発言をしていて、これが義時毒殺説の大きな根拠となっている。

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