実は堂々としていた平賀朝雅 「討手」の報に慌てず後鳥羽上皇に報告
https://news.yahoo.co.jp/articles/d8c9aeda77740f54c317a0ded0e67ac6e023085f
今年の大河ドラマにおいて、ひところの今川義元のようなスゴい麿っぷりで描かれた平賀朝雅だけれども、吾妻鏡では豪胆な武士として描かれていたんだぜ という話。まぁ武田や佐竹と同じ新羅三郎の一族で、平氏残党の蜂起を三日で平らげたような人間なので、豪胆であったとしても何ら不思議はないだろうと。
>山内持寿丸という者が、弓矢で朝雅を討ち取る
上述の三日平氏の乱での失態によって伊勢守護の地位を朝雅に譲らざるをえなくなった、山内首藤経俊の6男・通基のこと。経俊はこの息子の功績をもって復職を願い出たが、却下されている。
もっとも、その後の経俊が89歳という異様な長寿で大往生していることを考えると、むしろ失脚してある程度権力から遠のいたのが良い方向に転がったのではないか という気もする。下手に権力のある立場だと、北条との関係が狂ったら即ゲームオーバーだよなと。
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