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2022年09月22日13:02

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信仰と我が子を天秤にかけて信仰を選んだ人だった、っと。

逃げ癖のある人は急坂を何処までも転がり落ちる。

山上容疑者の母親は『母親以外の別の人』になってしまった。



今年、豪雨の中を地域のフードバンク(食料支援)ボランティアに顔を出した。
小分けした食料品を持ち帰る人々の姿に安堵して、私は私本来の生活に戻る事にした。

現在の私の日常は途方もなく地味で、大きな商店街の街頭に立ちボランティアの一団として楽しげに和気藹々と活動するなど、本来的には許されていない。

慢性気管支炎(喘息)を患う私には、コロナの感染リスクを冒してまで集団行動に勤しむ行為は、医学的医療的には喫煙よりも『悪』なのだ。



他人の目からは、常時いつでも私は独りぼっちに見えるだろう。しかし私には、別の世界が見えている。

東京都内にも、神奈川県内にも、私と同じく『喘息を理由に地域社会に独居』をしている人々が実は大勢いるのだ。

電車通勤は喫煙より悪だ、バス通勤も喫煙より悪だ、大勢の社員の居る事務所に勤務する行為は喫煙よりも悪だ、回数は極少ない事が望まれる。



地域社会の頑迷で無知な年寄り達は口々に言う、

「あの人、いつも仕事にも行かないでフラフラして遊んでばっかり!、働かざる者食うべからずよ!むかっ(怒り)」

と。

彼女達は、自らが何を言っているか理解していない。

そもそも彼女達には『状況を理解する知能』が無いのだ、山上容疑者の母親と同様に。



私から見ればフードバンクを利用する利用者は、山上容疑者の母親よりも余程に上等な部類の人々だ。

子供に飯を用意し喰わせる、人の親であるならばして当然、出来て当たり前の行為だ。
令和現在の日本社会において日本国において、『子に飯を食わせない行為』は虐待であり保護責任遺棄であり凡そ殺人に等しい犯罪である。

命を軽んじられながら成長した者が、他人の命を奪って何の不思議が有るだろうか?。



今日も私の自宅の周囲では知恵遅れが怒鳴り喚き騒ぎ立てている、その様相はスラム街丸出しだ。

どんなに教育を与えてもせいぜいが『山上容疑者の母親程度』にしかなれないのなら、煩いだけだから早く死ねば良いのに…。



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■山上容疑者の兄から「家に食べるものがない」電話も 伯父が振り返る山上家の困窮
(AERA dot. - 09月22日 08:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=7120077
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