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2022年09月01日05:56

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三日平氏の乱 のメモ

・1184年に起きた争乱と1204年に起きた争乱は、共に「三日平氏の乱」と呼ばれている
・本来1204年のものが三日平氏の乱だったが、平家物語において1184年のものを三日平氏の乱と呼んだことから混乱が生じた。
・ウィキペディアにおいては三日平氏の乱(平安時代)と三日平氏の乱(鎌倉時代)いう形で区別している。
・どちらにも山内首藤経俊が関わっていることが、さらに分かりにくくしている。

1184年
・西国で平氏と源氏が対峙するなかで起きた争乱。
・伊賀、伊勢、近江などで次々と平氏が挙兵。
・大内惟義(平賀朝雅の実兄)、山内首藤経俊、佐々木秀義(四兄弟の父)らが鎮圧にあたるが、平氏方の動員数も多く激戦となり、佐々木秀義は戦死するに至った。

1204年
・実朝擁立直後の混乱の中で起きた争乱。
・伊賀と伊勢で平氏が挙兵。両国の守護であった山内首藤経俊は、大規模な反乱と考えずに、僅かな手勢で出陣。平氏方に蹴散らされてしまい、経俊は逃走。両国は平氏に占領されるに至る。
・京都守護として駐在していた平賀朝雅は、畿内の御家人の指揮権を得て、反乱の根拠地である伊勢に迂回作戦を実施。おおむね3日で反乱を鎮圧することに成功。
・経俊は伊勢と伊賀の守護職を解任。代わって平賀朝雅が両国の守護を兼任するとこととなり、畿内において強力な権力を獲得。これにより朝雅が朝廷の信頼を得たことから、ほどなく発生する牧氏の変において「娘婿である朝雅を将軍に擁立する」という話につながる。
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