加藤景廉
知略58武力76優雅36勇名29菩提51加護70無常34弓術69
挙兵当時からの頼朝の側近。山木兼隆を討ち取り、石橋山ではしんがり。石橋山脱出後は、北条と同様に一時武田に合流していた。
飲み会で気を失って佐々木盛綱(佐々木四兄弟の三男)に担ぎ出されて、翌日に頼朝が直々にお見舞い。範頼に従って九州遠征に出た際にも体調不良となってしまい、兄が「このままでは行きて戻れない」と頼朝に嘆願すると、心配した頼朝は馬一頭と見舞い状を送った上で、療養のために送還。虚弱エピソードが多いが、結局頼朝よりも遥かに長生きなのだから、世の中わからない。
梶原景時と懇意だったため、景時の乱の際には連座したとして所領を一部没収。
比企の乱の際には北条方について、館から落ち延びようとした能員の息子(名前不詳)を殺害。さらに乱の後に、同じく挙兵当時からの頼朝側近で、北条方だったものの去就が怪しくなった仁田忠常を殺害。これで北条の信頼を得たようで、宿老としての待遇を得る。
しかし、警護責任者を務めた実朝の鶴岡八幡参拝で、公暁に実朝を暗殺されてしまい、景廉は責任を取って出家。承久の乱では鎌倉に待機、その数カ月後に死亡。まぁ同じ頼朝側近でも、殺された仁田忠常や、干された天野遠景に比べたら、加藤景廉は上手く立ち回ったなと思う。
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