快活CLUB佐世保四ヶ町店を5時前にチェックアウト。
3時間ほど仮眠しただけだから、かなり眠い。
折角なので、松浦鉄道の佐世保中央駅を見学する。
時間があるから、商店街を抜けて佐世保駅まで歩いた。
途中、吉野家佐世保下京店で朝食。
納豆牛小鉢定食を頂く。
佐世保から、長崎行きの始発。
5時55分の大村線経由の長崎行きに乗車。
車輛は2018年に登場したばかりのYC1系気動車。
JR九州ご自慢のディーゼル・エレクトリック車輛かつハイブリッド車輛。
それを4輛繋げている。
車内はロングシートがメインで、車端部の海側に一ヶ所、ボックスシートがある。
早岐から、大村線に入る。
佐世保も大村線も2019年の8月に、当時、現存する国鉄最古参の気動車キハ66を撮り鉄に来て以来だ。
まるで川の様に細い早岐瀬戸に沿って走る。
ホテルオークラ・ハウステンボスが見えて来る。
ここから暫くは、内陸を走る。
南風崎を過ぎるとトンネルが続く。
海岸線が入り組んでいるので、半島の根本を抜けるからであろう。
ちらり、ちらりと海を眺めながら進む。
川棚で佐世保行きと交換。
まだ6時半だと云うのに、佐世保行きのホームには結構な乗客が待っていた。
川棚を出て町を抜けると、大村湾に沿って走る。
松原を過ぎると段々と町になって来る。
途中、まだ駅名板も付いて無い、開業前の駅らしきものを通過する。
そして、竹松に到着。
隣には西九州新幹線の真新しい高架が聳えている。
そうして、大村に到着。
大分を出ると、内陸部に入り半島の山越。
7時10分、長崎本線と合流する諫早に到着。
諫早は鉄道の要衝である。
長崎本線が通り大村線、島原鉄道、そして長崎本線の旧線が乗り入れる。
ここで長崎本線の旧線、7時19分発の長与回り長崎行きに乗り換える。
車輛は同じくYC1系気動車。
喜々津で、新線と分岐する。
ホームの端に撮り鉄がカメラを構えていた。
旧線は、ここから大村湾に沿って走る。
複雑な海岸線の地形に逆らわず、丹念に走るから、事の他、美しい。
かつて、関門トンネルが開業した後、特別急行「富士」は長崎港まで延長されたが、この美しい風景の中をどう走ったのだろうか。
大草を過ぎると、海岸線を離れ勾配を上がって行く。
途中、千々石ミゲル墓所推定地の近くを通り本川内に到着。
のどかな山合いの農村。
ここから下りの勾配になる。
峠を下りきり、長与に到着すると景色が一変する。
マンションなどが建ち並び、駅の周辺には店も多数あり、いきなり都会に変貌して仕舞う。
今までのどかな風景を眺めて来たから、些か面喰らう。
長与では諫早行きと交換、4分程停車した。
次の高田で、かなりの乗車がある。
道ノ尾でほぼ座席が埋まった。
山合いの町に、山裾も埋め尽くす様に家やマンションがあり、何となく神鉄の鈴蘭台辺りを思い出す。
西浦上を過ぎ、長崎大学電停の辺りで原爆救護列車のプレートが目に入った。
原爆投下直後、こんな辺りまで列車が入って来た投下云うのは実に驚く。
浦上で新線と合流し、真新しい高架の長崎駅に到着した。
長崎から、8時27分発の特急「かもめ8号」に乗車。
恐らく、最後になるだろうから、浦上から肥前山口までの長崎本線を、特急で味わって見たかった。
車輛は885系、6号車3番A席に陣取る。
長崎の街を抜けて、浦上を発車すると長いトンネルで突っ切って行く。
殆ど駅も無くかなり速度を上げている。
呆気なく諫早に到着。
ここから諫早湾の路線を行く。
湾を挟んで向かいには、雲仙岳が聳えている。
地形に逆らわず、海際を走るから、線形は良くはない。
にも関わらず、885系は速度を上げて行く。
湯江で、長崎行き「かもめ」と交換。
諫早湾干拓堤防道路が見えて来る。
肥前大浦で運転停車。
長崎行きの「かもめ」を待つとの案内があったが、列車が来ないまま発車する。
暫く走ると入江の向こうに白い列車が停車しているのが見えた。
里信号場で885系「かもめ」が運転停車をしていたのである。
伏見稲荷大社、笠間稲荷神社とともに日本三大稲荷の一つ祐徳稲荷神社の最寄り駅である肥前鹿島に停車して、9時47分肥前山口に到着。
構内には小中学生らしきファンが、走り回って「かもめ」や「みどり」の写真を撮っている。
私も昔はあんなだった。
10時12分発の鳥栖行きに乗車する。
佐賀平野を淡々と進む。
佐賀の駅で、分岐したコンクリートの高架が途中で切られていた。
恐らく、佐賀から鹿児島本線の瀬高を結んでいた佐賀線の跡だろう。
中原で「かもめ」を退避する。
上下の「かもめ」が通過したから、撮り鉄をした。
そして鳥栖には10時58分の到着。
鳥栖駅名物、中央軒「焼麦(シャオマイ)」を購入。
そして、ホームに停車している11時7分発区間快速八代行きに乗車。
817系の2輛編成で、荒木行きの快速からの乗り継ぎ客で満席になった。
ロングシートなので立つ。
肥前旭を過ぎ、筑後川を渡り福岡県に入る。
久留米に到着。
郊外電車の様な雰囲気の中を走る。
そして、大牟田を抜けて熊本県に入ると荒尾に停車。
三井三池炭鉱万田坑の積み出し駅だったからか、構内は広く側線の跡が残っていた。
栄枯盛衰を思わせる。
長洲で、汽笛が鳴り響いたと思ったら、8600形蒸気機関車とすれ違った。
客車と補助のディーゼル機関車を下げて走り去って行った。
九州は面白い列車が多い。
玉名から肥後伊倉を過ぎると山深くなって来る。
山に囲まれた地を曲がりながら勾配を上がって行く。
そして、田原坂に到着。
言わずと知れた西南戦争の激戦地。
西郷軍が抜けなかった田原坂を、トンネルで一気に抜ける。
トンネルを抜けると植木。
辺りの畑はビニールハウスばかりだが、名産のスイカを作っているのだろう。
初めて鹿児島本線で熊本に向かった折、この駅で特急「有明」を退避した事を思い出した。
そんな中、山の中に、へばりつくように真新しいキャンバスが現れ雰囲気が一変する。
崇城大学のキャンパスで、駅もある。
学生らしき乗客が多数、乗って来る。
熊本には12時33分着。
次は12時35分の宮地行きだから、時間が無い。
慌ただしく乗り換える。
キハ220の2輛編成で、ロングシートとクロスシートが半々になっている。
豊肥本線に乗車するのは、1995年2月以来。
実に27年振り。
当時は特急「あそ」で熊本から別府まで乗り通した。
これが今まで、最初で最後の豊肥本線の乗車だったので、各駅停車では初めてとなる。
熊本の街の南端を回り阿蘇を目指す。
あえて座席に座らず、運転台横にへばり付いている。
端から見たら、気狂いだろう。
平成で815系の普通列車と交換。
水前寺など駅毎に乗客がある。
熊本の郊外に出て白川を渡り、竜田口でも熊本行きと交換。
ここから阿蘇までは、白川に沿って進む。
13時20分、肥後大津に到着。
発車は14時47分と、かなり停車する。
電化区間はここまで、ICカードも使用できるのはこの駅まで。
熊本から肥後大津止まりの列車を待ち、交換などはなく47分に発車。
阿蘇の外輪山が立ちはだかっている。
勾配を上がりエンジンが唸りを上げる。
周囲は畑ばかりになっている。
瀬田で、熊本行きが停車していた。
瀬田を過ぎるといよいよ阿蘇外輪山の切れ目である立野。
キイキイと車輪をきしませ、エンジンが唸りをあげて外輪山を登って行く。
白川の織り成す景観が、眼下に広がる。
漸く登りきったら、立野に到着。
同時にキハ185の熊本行き特急「あそ」も下って来た。
先に「あそ」が発車。
外輪山を下って行った。
続いて此方の番。
三段式スイッチバックで外輪山に挑む。
立野の駅から逆走して、止まる。
そして、元に戻り外輪山を越えるのである。
眼下に白糸の滝が見える。
物凄い谷である。
そしてトンネルに入る。
抜けたらもう、阿蘇カルデラの中。
普通の田園風景に町が広がる。
阿蘇五岳が聳えている。
のどかな風景の中、内牧でキハ47のエンジン乗せ替え車、キハ147の肥後大津行きと交換。
何か、駅に止まる毎に地元の人がスマホで撮影したり、子供が手を振ったりしている。
運転手も、軽くタイフォンを鳴らし手を振り返していた。
阿蘇を出て、終着の宮地に到着。
時間は14時48分で、次の豊後竹田行きまでには二時間近く時間がある。
なので、肥後国一ノ宮たる阿蘇神社へ詣ってみた。
駅前から阿蘇神社まで、参道らしい道も無い。
殺風景な道路を20分程歩く。
鳥居の回りにも、店などは無い。
阿蘇十二明神を祀る阿蘇神社は今回初めて来た。
2016年の熊本地震で楼門が崩壊した為、修復工事中であった。
お詣りを済ませて、駅とは反対側の、駐車場側へ行ってみたら、お土産屋などの商店街になっていて、賑わっていた。
どうやら地元も、鉄道で来る観光客には期待をしていないのかも知れない。
商店街の中に、猫さんもいた。
阿蘇の猫さんと云うと、どうしても阿蘇五岳の一つ、根子岳の猫屋敷伝説を思い出す。
人を猫にして仕舞う湯を沸かし、旅人を猫にしようと誘き寄せる猫屋敷の話を。
駅へ戻る途中にあった「みやはら一の宮店」と云うスーパーで買い物をする。
そして宮地駅前にある「リッチモンド」と云うパン屋で、パンも購入した。
宮地を16時17分に発車する別府行き特急「九州横断特急3号」と、肥後大津行きの普通列車を撮り鉄しながら豊後竹田行きを待つ。
漸く16時36分発の列車が入って来た。
今回の旅では初めてのキハ125。
定刻に発車して、外輪山を上がって行く。
阿蘇カルデラが一望出来る。
そしてトンネルに入り、阿蘇カルデラに別れを告げた。
深い山だから駅間も長い。
次の波野までかなり時間がかかった。
ここで交換の為に停車。
何と、キハ183特急「あそぼーい」が通過。
矢張り九州は面白い。
それにしても、深い山が続く。
まるで久住連山にでも迷い混んだかの様な心地になる。
豊後荻で漸く、家等が目に入った。
しかしそれも束の間。
深い山とトンネルが続く。
そして17時22分、山合いの小さな城下町である豊後竹田に到着した。
ホームに降りて驚いた。
駅の真後ろから滝が流れている。
私も乗り鉄しながら色々な駅を訪れたが、ホームから滝が見られる駅など初めてだ。
落門の滝と云うらしい。
次の大分行きは18時2分。
少し時間があるので町を歩いてみた。
豊後竹田は、言わずと知れた「荒城の月」の舞台となった岡城のある町であり、作曲家たる瀧廉太郎の出身地。
出来たら岡城や、武家屋敷通りまで行きたかったが、時間的に厳しかったから早々に戻る。
「荒城の月」が流れ折り返し大分行きが到着。
ロングシートのキハ200の2輛。
これで1時間と20分の道中は厳しい。
18時になったからか、町のスピーカーで音楽を鳴らしている。
そして18時2分、大分行きが発車した。
幾つかトンネルを抜けて、大野川に沿って下りて行く。
夕日に照らされた里山が美しい。
三重町で6分程停車する。
三重町止まりのキハ220が停車していた。
三重町を出て暫くすると、日が沈み暗くなってしまった。
犬飼で豊後竹田行きと交換。
大分の手前、滝尾でも豊後竹田行きと交換。
大分
19時19分
次の小倉行きは20時19分で、時間があるので温泉県大分の実力を見せて貰う事にした。
大分で温泉と云うと、別府や湯布院などが有名であるが、県庁所在地の大分にも幾つか温泉が涌いている。
駅前には、昔ながらの天然温泉「あたみ温泉」があるので行ってみた。
疲れた体に心地良い。
本当に気持ち良かった。
乗り鉄温泉巡りとしては、函館の谷地頭温泉と並ぶ温泉だろう。
身体中すっきりして、ビールを買って駅へと戻る。
丁度、小倉行きが到着する所だった。
車輛は国鉄時代の古参、415系。
それは良いのだが、ロングシートに改造されていた。
トイレ横だけはクロスシートのままだったので、そこを陣取る。
昼に買っておいた鳥栖駅中央軒「焼麦(しゃおまい)」
そして、宮地駅前「リッチモンド」で買ったベーコンエピ。
「焼麦」が旨いのは当然なんだが、このベーコンエピもなかなかのものだった。
別府湾をぐるりと回っているから、対岸に大分の町の灯りが見える。
考えてみれば日豊本線も、南宮崎から北側は特急でしか乗った事が無い。
大分から小倉まで各駅停車の旅も、今日が初めてだ。
日出を過ぎると国東半島の根本を縦断する。
小倉には22時59分の到着。
殆ど爆睡していた。
そして、23時12分発の下関行きに乗り換える。
車輛は415系。
門司を出ると、交直切り替えを行う。
一瞬、車内が非常灯のみになる。
いよいよ、九州ともお別れである。
関門トンネルを抜けて23時31分、本州・下関に到着。
23時33分発の厚狭行きに乗り換える。
117系改造の115系3500番台を含む115系。
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