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2022年03月07日20:29

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!閲覧注意!3月14日(月)追記

■キエフ近郊の団地に砲撃か 「住宅地区だ」ウクライナ側が動画投稿
(朝日新聞デジタル - 03月06日 01:35)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6874842




ウクライナの首都キエフ近郊イルピンで、退避しようとしていた母親と子供2人が、米紙「ニューヨーク・タイムズ」の取材班の目の前でロシア軍の砲弾の犠牲になった。
同紙は死亡した一家の写真とともに砲撃の瞬間を報じる記事を一面トップに掲載した。



その橋は、ロシアのキエフ進攻を阻止しようとしたウクライナ軍によって数日前に爆破されていた。だが崩壊しそうになりながらも、戦火から逃れようとする市民にとって命綱の退避ルートになっていた。



3月6日の朝、キエフを目指すウクライナ人たちは橋の手前に集まり、そのイルピン川を無事に越えることができるか思案していた。


ほどなく、ある家族が覚悟を決めて、一か八かの賭けに出たときだ。

ロシア軍の迫撃砲が直撃。彼らがようやく橋を渡りきり、キエフに入った瞬間だった。

コンクリートの粉塵が舞い上がり、朝の空気を雲のように覆った。粉塵が落ち着き、視界が開けてくると、ウクライナ人が死に物狂いで現場から逃げているのが見えた。
だが、その中にあの家族の姿は見えない。


彼らは道路脇で横たわっていた。母親と2人の子供、そして一家の友人の男性が、ぐったりと横たわっていた──。




ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、民間人を標的にはしていないと繰り返し否定しているが、現場では彼の言葉に反することが起きている。
この前日にも、ウクライナ人の退避に使われている鉄道が攻撃されたばかりだ。


迫撃砲を受けた橋の近くには、ウクライナ兵が数えるほどしかいなかった。戦闘に加わっていたのではなく、退避する人々を助けるためにそこにいた兵士たちだ。


「軍を狙うのとは違う。彼らは民間人なのですよ」と、ひとりのウクライナ兵が悔しさをあらわにして言った。




https://news.yahoo.co.jp/articles/c850a7cb265350b62db9ac5577f447943875d499

https://news.yahoo.co.jp/articles/ecf732f8c12d9fc3cbd0cd4fa8dad6a0813a0cb8























フォト











3月12日(土)追記


ウクライナの首都キエフから25キロほど離れたイルピンで3月6日、侵攻してきたロシア軍の迫撃砲弾が着弾し、街から避難しようとしていた母子3人と、一家を助けようとしていた知人男性が死亡する悲劇があった。


母子らが地面に倒れた写真は、現場に記者らが居合わせた米紙ニューヨーク・タイムズなどが報じ、ロシア軍の無差別攻撃の凄惨な光景として、世界中の人びとの脳裏に焼きつけられた。

その後、亡くなったのは米IT企業「SEランキング」で働くタチアナ・ペレベイニスさん(43)、息子のニキータさん(19)、娘のアリスさん(9)、男性はルハンシク出身のアナトリーさん(28)と判明。



惨劇が起きた時、タチアナさんの夫・セルギーさんは750キロほど離れた東部のドネツクにいた。
妻子の死を知って、7日、フェイスブックに家族の写真と巻き添えになった2匹の愛犬の写真を掲載、次のような記事を投稿した。




「やつらはすべてを奪った。ターニャ(タチアナの愛称)は助からなかった。この出来事のすべてが私に意味することは何なのだ。次は何だ? 今から行くよ、そこにいて……最後にもう一度会わなければならない。許してくれ、私は君たちを守れなかった」

セルギーさんは4日間かけてキエフに行き、遺体安置所で家族と対面した。

セルギーさん一家は、もともとドネツクに住んでいて、2014年のクリミア東部紛争で戦火にさらされたため、仕事の都合でセルゲイさんだけがドネツクに残り、残る家族はイルピンに転居。今回の危機では、タチアナさんの高齢の母親が移動が困難だったため、避難が遅れたという。



https://news.yahoo.co.jp/articles/899abe423213d184d70e700f1cc4cbd179619ad6







3月14日(月)追記



先週日曜日、ウクライナの首都キエフ近郊のイルピンで、ロシアの砲撃によりある一家が亡くなった。妻子を失ったた夫が、家族の最後の数日間を米紙「ニューヨーク・タイムズ」に語った。


タチアナとセルヒーは高校で出会った。数年後、彼らはウクライナのナイトクラブで再会したのをきっかけに交際をスタート。2001年に結婚し、キエフ近郊のベッドタウン、イルピンのアパートで、2人の子供と犬と暮らしていた。タチアナは会計士、セルヒーはコンピュータプログラマーだった。

2月、ロシアがウクライナに侵攻し、戦火はすぐさま首都キエフへと近づいてきた。まもなく、ペレビニス一家の住む地域が砲撃された。ある夜、彼らのアパートが爆撃に遭い、タチアナと子供たちは地下に移動した。このとき、夫のセルヒーはウクライナ東部の故郷で病気の母の看病をしており、タチアナは最終的に、子供たちを連れて逃げることを決意した。

しかし、それが叶うことはなかった。43歳のタチアナと、18歳のミキタ、9歳のアリサ、そして彼らを助けていた教会のボランティアで26歳のアナトリー・ブレズニーは、日曜日、イルピンの崩壊しそうな橋を急いで渡り、キエフに逃れようとしていたところ、ロシアの砲撃に遭い亡くなってしまったのだ。

彼らの荷物──青のスーツケース、グレーのスーツケース、そして複数のバックパック──は、彼らの遺体の近くに散らばっていた。そばでは、唯一生き残った一家の小さな犬が、緑のキャリーケースの中から吠えていた。




先週末には、彼ら4人の他にも、多くの人々がこの橋を渡ってキエフに逃れようとしていた。しかしタチアナたちの死は、彼らの住んでいた場所をはるかに越えて、多くの人々の胸に響くこととなった。

一家とブレズニーの遺体の写真は、米紙「ニューヨーク・タイムズ」のフォトジャーナリストであるリンジー・アダリオによって撮影され、ロシア軍による無差別殺りくのありさまを映し出していた。ロシア軍は民間人が多く居住する地域をますます狙うようになっていた。

ひとり残された夫のセルヒー・ペレビニスは、一家の暮らしと亡くなる直前の数時間について語ってくれた。セルヒー(43)は、家族の死をウクライナ人によるツイッターの投稿で知ったという。

彼は泣き崩れながら、亡くなる前日の夜、タチアナに「一緒にいてやれなくて申し訳ない」と伝えたことを話してくれた。

「妻に、『君たちを守れないことを許してくれ』と言いました」。それに対して、「彼女は『心配しないで。抜け出してみせるから』と言ったんです」

だが、タチアナと子供たちは亡くなってしまった。セルヒーは、家族の死が写真や動画で記録されたことは重要だったと話す。「ここで何が起こっているのか、全世界が知るべきです」



タチアナの勤め先のソフトウェア企業は従業員に対し、戦闘が始まったらウクライナをただちに離れるよう促していた。しかし、タチアナにはアルツハイマーを患っている母がおり、彼女をどう退避させるべきかが決まらず、出発が遅れてしまった。

地下に避難してから2日後の土曜日、一家は最初の退避を試みた。しかしミニバンに荷物を積んでいると、その道路を戦車が通っていった。そこで、彼女らはしばらく待つことにした。

翌日、一家は午前7時までに行動を開始した。タチアナとセルヒーは退避の計画について、事前に事細かに話し合っていた。タチアナと2人の子供、そして近所に住む彼女の両親は、教会の人々と合流してキエフに逃れ、そこで安全な場所を探すつもりだった。

タチアナらはイルピン内を可能な限り車で移動したが、最終的にミニバンを捨てなければならなかった。
キエフに行くためにはイルピン川に架かる橋を渡る必要があったが、その橋は数日前、ロシアのキエフ進攻を阻止しようとしたウクライナ軍によって爆破されていたのだ。
そこを自らの足で渡るため、一家は車を降りて歩きはじめた。

彼らは橋の手前の通りを、ロシア軍の砲撃にさらされながら90メートルほど進まなければならなかった。ロシア軍がこの場所を砲撃すると、多くの人がレンガの壁の後ろに隠れようとした。

教会のボランティアをしていたブレズニーは、自分の家族をすでに退避させていたが、他の人々を助けるためこの地に戻ってきていた。
タチアナと子供たちが橋の向こうへ駆け出したとき、彼も一緒だったという。


この日の前夜、セルヒーは夜通しスマートフォンの位置情報アプリを使って、妻の現在地を確認しようとした。しかし、彼女の位置を示すものは何も表示されなかった。一家は地下にいたため、電波を受信できなかったのだ。

明け方頃、セルヒーのアプリ画面にはピンが1本立っており、家族が家にいることを示していた。しかし動きは一切なかった。この町では、電波の受信状況にかなりむらが出始めていた。

セルヒーがその次に位置情報を確認できたのは、翌日日曜の午前10時頃だった。それはキエフの病院を指していた。何かがおかしかった。

彼は妻の番号に電話をかけた。呼び出し音は鳴ったが、誰も出ない。子供たちの電話にもかけてみたが、結果は同じだった。

それから1時間半ほど経って、彼はあるツイッターの投稿を見た。イルピンから逃れる途中で砲撃に遭い、一家が亡くなったという内容だった。しばらくして、写真つきの別の投稿が流れてきた。

「その荷物は私の家族のものでした。そうして、私は家族の死を知ったのです」



https://news.yahoo.co.jp/articles/491baf3b48aca40a15d240251e0d0e15ad2a6c6d?page=1




※現代ロシア語ではセルゲイ、セルギー。ウクライナ語ではセルヒー。
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