浜松市中区にある龍禅寺には、鐘撞堂が有りました。太平洋戦争の開戦と同時に、武器弾薬を作るために家庭の鍋や釜、工場の機械設備に至るまで、金属回収が呼びかけられて、
中区龍禅寺町にある龍禅寺でも1942年には「寺宝の大梵鐘」も供出をしました。終戦後に、三重県四日市市の金属回収会社で供出した梵鐘が見つかり1946年(昭和21年)三
月に、寺に戻りました。龍禅寺の境内には本堂や護摩堂、仁王門など立派な七堂伽藍が建てられていました。江戸時代後半、1814年龍禅寺の大梵鐘は、森に住む鋳物師山田七郎
左衛門が、祖先が徳川家康から受領した「駿遠両国鋳物師惣大工職」の朱印を持っていた、森町在住の鋳物師が鋳造をしました。直径1.24m、高さ2.04m、重さ1.34トン、肉厚15Cmで、
延べ数百人の職人を集めて、寺の境内で鋳造されました。主な材料はですが鋳鉄ですが、金銀を混ぜると鐘の音が一層良くなると言われます。信者たちが、来世の御利益を願っ
て、金や銀の手鏡や簪等を提供したと言われます。それらの寄進者は遠州・駿河に及ばず、三河にも及んだということです。第二次大戦中に浜松にも約70機の爆撃機が来襲し
て、竜禅寺町だけでも179発の爆弾が投下され、町内の死者251人、全壊家屋200戸以上、全焼家屋289戸という悲惨な記録が残っています。この空襲により龍禅寺の多
くの建物も焼失して無くなりました。終戦後、梵鐘が有ったという知らせは、地元の人達に勇気づけることになりました。遠州地域で最大の梵鐘と誇り、昭和・平成・令和と折に
触れて鳴らされてきました。今でも市民を励まし、勇気づけています。森町の鋳物師が鋳造を行った梵鐘が残っていて良かったです。
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