今年も1.17がやって来ました。去年は日曜日だったのでそれはなかったのだが、今年は、昼前に職場で昼前に黙とうをしていた。ちらっと見ただけだけど、ロビーのテレビでは、県内の追悼行事の模様が流れていた。27年経っても、やはり、あの日のことは忘れられない。
■教訓忘れず、次世代へ=コロナ禍で2度目の「1.17」―阪神大震災27年
(時事通信社 - 01月17日 08:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6815374
震災当時は、県庁が職場だったが、最初に配属になったのが土木事務所だったので、災害が合ったら何があっても職場に向かわなければならないとの意識があって、車で市内に向かう父親に同乗して職場に行ったものの、交通が途絶していたせいもあり、誰もいない。ロッカーは倒れ、部屋の中はぐちゃぐちゃ。容赦なく襲い来る余震にビビりながらも一人で事務所に居るしかなかった。
結局、特に何かできる訳でもなく、上司の電話を受けて、「君も帰りなさい」の職務命令?で帰宅することになった。とは言え、交通機関は動いていない。とりあえず、行ける所まで歩て行くことにした。
県庁付近では、あちこちで建物が倒れていたのに、県庁からほんの1kmちょっとぐらい北の道路沿いでは倒壊した家はあまりなかった。新神戸駅近辺もそうだったけど、市街地でも山沿いは地盤が強固だからだろう。
国道428号を北へ歩き、500m程のトンネルに差し掛かる。ここを歩くの嫌やな〜と思っていたら、トンネルの手前で通りがかりの車から声をかけてくれて、鈴蘭台駅まで乗せてくれた。ここから西鈴蘭台駅まで歩いたが、この辺も被害は少なく、壁にヒビが入った家が散見される程度だった。駅で電話したら、父親が迎えに来てくれることになって、無事に帰宅できた。帰宅後のテレビでは、被害の甚大さを思い知らされるばかりだった。
その震災のちょうど1年後は、生涯初の海外旅行でタイから帰国して、午後に出勤した。そして、さらに1年後、私は父親になった(^_^;震災の当日には、そんなことになるとは夢にも思わなかったけどね。
・・などと、1月17日には、震災にちなんだ日記を書いてるけど、今の職場で私の前に座っている若手職員は、震災のときには生まれてすらなかったのよね。娘は25歳で、四捨五入したらアラサーや。ほんま、歳取ったと思いますわ(^_^;
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