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2021年12月18日14:16

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わりと、どうでも良い

You Tubeで海外の動画を視聴する、主に言語のコミュニケーションを必要としない動画を。

言葉など無くても、その生活の豊かさや知性や教養は動画だけで伝わってしまう。

私が生きられない場所は、なんて豊かなんだろうか。

あんな贅沢なサフランの使い方を、初めて観た(日本では小瓶に僅か十数グラムでン千円とかするサフラン)。

あんなに大量の栗を使ったラム煮込み(日本の都市部の店頭に置かれた栗など、私はなかなか買いたい気持ちになれない)。

フォト

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去年、年老いて亡くなった最盛期の父の姿が、国境を越えて人種を越えて時をまたいで、動画の中にあった。

それはラムじゃなくて、キンメやサバやアジの魚だったけれど。

母と弟が寝付いた後、私と父だけがリビングにキッチンに居る、魚を箸でつまみながら。

父は日本酒の器を、私はお茶のカップを。

休日に釣りから帰った父は、その日の内にワタを外して釣れた魚の全ての下処理を済ませていた、その太い腕を捲って。

母も弟も私も歓声を上げる、父の釣果をクーラーボックスに見て。

魚を慕うのは山羊じゃなくて、猫達だったけれど。






動画の中、金髪や赤毛の少年達がサッカーをしている、細い腕、細い脚、細い肩、動画の通りの食事を続けて数年も経った頃には、あの少年達はがっしりと骨も筋肉も発達しているだろう。






他人の手により奪われた物など、どうでも良いのだ。

奪い去られた古い写真など無くても、私はつい昨夜の事の様に元気だった頃の父の姿を思い浮かべる事が可能だ。

私の手から永久に奪われた昔の写真など無くても、私は何時でも自由に私を慈しみ育てた父の声を言葉をその眼差しを思い返す事が可能なのだから。

他人の勝手に考える事や他人の話す言葉や他人の思惑や価値観など、その凡そ殆どが私には無価値だ。

ただ、私は、病院から遠距離には生活出来ない(医療的処置の必要な発作が起きた時に、間に合わないから、が理由だ)。






他人から為された何よりそんな事よりも、私は父が全身全霊で守り尽くし愛したかった母の老後を、父の代わりに…。

それは、他の何をおいても果たすべき跡継ぎの役割だろう。








子供の頃に、父の田舎に泊まりがけで行った事がある。

そこは里山だった。

命は時を経て、後の世まで、伝わる。
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