他人が何を考えてるか?なんかどうだって良いけど、
『公害病患者のジェンダー意識は?』
とは考えてる。
性も人格権であり人権だからな。
最初に通った小学校では担任が民主主義者ではなく、生徒の人権や人格権を否定する教条主義者だった。
故に、私を含めた生徒は、皆が荒れた。
授業もしないで休み時間から始まった歯糞にもならない説教と生徒指導は、始業のチャイムが鳴ってからも
「この花瓶の花の生け方は何だ?!、お前たちは花の生け方も知らないのか!!」
「どうせお前たちも高学年になったらブラジャーしてオッパイ臭くなるんだろう、どいつもこいつもアタシに逆らってアタシに恥ばっかりかかせやがって!」
「お前たちの成績が悪いからアタシの評価が上がらないんだ!!」
などなどと、滔々と続けられる更年期障害丸出しのキチガイ女が薫陶垂れて教室内は慢性的に激しくキチガイ丸出し感が満載だったんだよなぁ。
小学生ながらに私は
(あんな大人には成りたくない、あんな糞婆には成りたくない)
と堅く心に誓ったものだった。
民主主義の屍たる自由と平等の腐乱死体が、私の担任だった。
唯一、あの担任に評価すべき点があるとしたなら、
『受け持ちクラスの生徒全員に対して嫌な気分と閉塞感を与える事においてのみ、別け隔てなく完全に平等』
ってゆーキチガイは、意外と身近に実在するもんなんだよなぁ。
あの糞婆、川崎市役所の公務員のくせして授業中にぜんぜん授業をしないんだもん、生徒の成績が上がる筈が無かったよ、税金泥棒の糞婆…。
ドキュメンタリーの鬼才・原一男が水俣病患者の"恋のセンチメンタルジャーニー"を撮ったワケ【後編】
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=141&from=diary&id=6780841
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