
〈8/19(木)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22196 (写真入り記事)

「大切なルーティン・ワーク」
小学生の頃、一日がとても長く感じたことを思い出します。「早く大人になりたい!」と思ったものです。
中学も、高校も、学生時代は、一律に一日を長く感じました。
しかし、大人になり、仕事をするようになると、仕事の内容がルーティンになり、生活スタイルが確立して来ると、一日の時間を短く感じるようになり、一日が早いので、一週間も、一ヶ月も、一年も早く感じるようになります。
年を取るごとに、この時間を早く感じる感覚は加速していきます。
人は、できるだけ楽をしてお金を稼ぎ、合理的な生き方をしようとする傾向があるからです。
それがルーティン・ワークとなり、日常の生活も同じことの繰り返しとなっていきます。
結果として、新しい経験が少なくなるので、刺激が少なくなり、時間を早く感じるようになるのです。
そうならないために・・・、
一日のはじめに祈り、聖書を読む習慣を持ちたいものです。
祈りは霊的呼吸であり、聖書を読むことは心のごはんを食べることです。
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある」(マタイ4:1〜4)。
イエス様を信じ、新しく生まれ変わった人は、体のいのちのほかに、もう一つ神のいのちをいただきます。
この神のいのちが心と体を生かし、人生を導いてくれます。
それは、祈ることと聖書を読むことを通してです。
これをルーティン・ワークとしましょう。
神のいのちに生かされ、神に導かれる人生を生きる時に、一瞬たりとも退屈はありません。
永遠と直結した、充実した中身のある人生を生きることになります。
時間があっという間に過ぎて、もう一週間が経ってしまったのかと驚くことがあります。
そういう時のことを振り返ってみると、忙しくて、祈ったり、聖書を読む時間が少なかった時です。
神と交わる時に、神が共にいて下さることが実感となります。
そうすると、すべての時間のすべてのできごとに意味や意義を見出せます。
そして、時間があっという間だと感じなくなると思います。
惰性で無為に過ごす時間を過ごさないためにも、自覚して神と交わる時間を大切にして下さい。
感謝に溢れた時間を過ごせますように。
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「人は変われる」
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<ドキュメンタリー番組>【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
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「編集後記的メッセージ 『聖書が教える一元的な生き方』」
正しいことを語りながら喧嘩をすることがあるのではないでしょうか。
「正しい」とは、間違ったものに対して議論をし、戦いをする大義名分になるからです。
「正しいか?間違っているか?」の二元論的に考えるのは、単純でわかりやすいです。
しかし、何かがおかしいと思わないでしょうか。
1冊の聖書を読み、1人の神を信じている者同士が批判し合い、壁を作り、争っているとしたら、二元論の罠にはまっている可能性があります。
聖書のメッセージは、一見して、確かに二元論です。しかし、その善悪の判断基準は神が決められます。
そして神は、その2つの善悪を、イエス・キリストの十字架によって一つにされたのです。
まずは、神との平和を得ました。
次に、もう一人の自分との平和を得ました。
それが発展して、他者との平和につながっていくのです。
イエス・キリストによって、善悪の基準は撤廃されたのです。
もし、正しいことを主張し合って争っているとしたら、そしてそれが、クリスチャン同士であるとしたら、本当に必要な争いなのかを考えたいと思います。
違和感を感じ、「何かがおかしい!?」と感じるべきなのです。
「白黒つけるべき領域」と「グレーゾン」、つまり、「白でもない、黒でもない、どちらでも良い領域」の2つがあります。
「白でもない、黒でもない、どちらでも良い領域」を白黒つけたがり、「白黒つけるべき領域」を不問に付して「グレーゾン」としていることはないでしょうか?
例えば、「コロナ対応」「ワクチンを打つかどうか?」「オリンピック・パラリンピックをするかどうか?」は、争って、批判し合い、人間関係を壊すほどのテーマでしょうか?
私は、喧々諤々の議論をしてもいいと思いますが、基本はグレーゾーンであり、各々の確信に従って行動するべきことだと思います。
しかし、聖書がはっきりと罪と断じていることは「黒」として扱わなくてはいけません。聖書が「こうしなさい!」と命じられることを「白」とし、祈り、真剣に向き合うべきです。
しかし、その白黒つけるべきことに対しても、聖書は、「柔和な心を持って対応しなさい」と語ります。
喧嘩になることはあっても、神が喜ぶことであり、お互いの幸せのためであり、愛することです。
結局そこにあるのは、二元的に白黒つけて争い、分断されることではなく、神によって白黒をつけて、そして、一元的に受け入れ合い、愛し合って一つになっていく世界なのです。
イエス・キリストは語られました。「互いに愛し合いなさい」と。
その愛が、私たちの中に豊かに注がれますように。
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