
〈7/16(金)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22159 (写真入り記事)
❣「成功の前に成長」
神は、創世記に登場するヨセフを愛していました。だから、成功の前に成長させてくださいました。
神様にとって、人を成功させるのは簡単です。しかし、人を成長させるのは難しく、多くの時間がかかります。
ヨセフは一日にして成功しました。囚人から国務大臣になりました。
しかし、ヨセフが成長するためには、長い年月がかかりました。
人が急に成長したら、壊れてしまいます。時間をかける必要があります。
変わりたくないし、心底変わりたいと思うためには挫折のような経験が必要です。
私の知り合いで、スキャンダラスな問題で失敗した牧師を何人も存じています。
日本は律法的な文化なので、牧師が一度失敗すると、敗者復活がありません。自分の力で立ち直ることはほぼ不可能です。
キリスト教文化のアメリカを見ると、失敗し、挫折したけれど、立ち直った牧師を何人も知っています。
アメリカの前大統領のトランプ氏を見ると、何度も倒産を経験し、何度も離婚しています。数々の失敗を繰り返していますが、敗者復活をし、大統領になりました。
日本が悪くてアメリカが良いと言いたいのではありません。
どんな状況の中にあっても、神にあっては敗者復活が可能です。
そのために、成長する必要があります。
人がどん底に落ちた時は、成長のチャンスの時です。
成長していない人が、中途半端に成功すると、傲慢になり、堕落する可能性があります。
しかし、成長した人が成功するならば、神の栄光が現れ、多くの人々の祝福になります。
今、もし、どん底を経験している人がいたら、成長の時であると知ってください。
成長させていただけることを感謝しましょう。
成長したら、その成長にふさわしい成功はついてくるものです。
神はあなたの成功よりも、成長に興味があるのです。
「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです」(コリント人への手紙 第一 3章6〜7節)。
神によって育てていただき、創世記のヨセフのように、聖書の登場人物の多くの人たちのように、本当の意味での豊かな人生を生きていきたいですね。
🧡【動画メッセージ】
「いつも本番」
https://youtu.be/ASUT782ltLg

【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bUQOQRJcKqE (夕礼拝)

【大久保駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/oP9A-Mq_D3U (正面)
https://youtu.be/5csZk-ycFYw (側面)

【四十代最後のメッセージ】(7月限定)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM

【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/u3YkZuvDk6o (説教�ぁ�

【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY

「編集後記的メッセージ 『理由なく気が合わない「水と油の人間関係」の相手とどうかかわったら良いか?』」
何の理由もないのに、その人と話したり、一緒にいるだけで気分が悪くなり、腹立たしい人がいるものではないでしょうか? もちろん、その逆もあります。
そこには、科学的、論理的、実際的な理由はなくても、目に見えない心の領域においては理由を見出すことができます。
人間は霊的な存在です。聖書は、「神は霊である」と語られますが、人が、その神に似せて造られたゆえに、人もまた霊的な存在であり、神と交わることができるのです。
理由もなく気が合わない人は、どこかで価値観が合わないはずです。
例えば、自分自身が大切にしていることを、相手が忌み嫌っているとしたらどうでしょうか?
自分が大切にしているものや事柄に対して、否定する電波、霊波、雰囲気を感じ取るものです。それは、そのような目に見えない空気に対して敏感か鈍感かによっても、感じる程度の差はありますが、それを心のどこかで感じるはずです。
やがてその人と話しているうちに、「なるほど、この人と私は水と油だな」ということが分かります。
このように、水と油の状態の相手がいるものですが、その時、それを悪い事と考える必要はありません。
水も油も悪いものではないけれど、お互いに異質な物質なので、混じり合うことができないのです。
野菜にかける液体のドレッシングは、水分と油分が分かれているので、使う時には、その容器を振って、混ぜ合わせて使います。しかし、再び分離されます。
水と油のように、混じり合えない相手が、切っても切れない相手の場合は、事は深刻です。
夫婦である。会社の同僚や上司と部下である。隣の家の人や、サークル、団体などでしょちゅう顔を合わす必要がある場合は、疲れますし、ストレスを感じます。
その場合は、祈ることです。そうすると、神様がドレッシングの容器を振られるように、必要に応じて一時的に混じり合わせてくださる場合があります。そこに緊張が生じることで、神に頼り、神を求めるようになり、結果として良い方向に働きます。
あるいは、神様が配置転換をさせてくださり、水と油の関係を遠ざけてくださる場合があります。
宗教的に考えると、これはマイナスの状態なので、人格が練られて変えられる必要があるという結論に至るかも知れませんが、神様は宗教を超越しますので、お互いの人格を練ってくださり、調和させ、仲良くさせて、共生させてくださる可能性もありますが、引き離してくださる場合もあります。
引き離してくださる場合は、体をイメージしたらわかりやすいです。
教会はキリストの体であり、私たちは、各器官、各肢体です。
各器官、各肢体は、必ず隣り合って存在しているでしょうか?
そうではありません。
例えば、腕と二の腕は直接つながっていなくて、肘を介してつながっています。しかし、全体としてはつながっています。
極端な話をすると、頭の頭頂部と足の裏は離れていますが、同じ体の一部分としてつながっています。そして、それぞれが必要です。
有名な歌に、「一年生になったら」というものがあります。
いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
それは理想ですし、全クラス、全学年の全校生徒同士が仲良の良い友だちとなれたら素晴らしいです。
しかし、それは理想ですが、現実にはそうはいきません。仲が悪い人がいますし、いじめもあります。
1人、もしくは、数人の友だちができれば、それで十分です。友だちの友だち同士がつながっていれば、全校が仲良しということになります。
キリストの体である教会も同じです。それぞれがキリストとつながり、全体でつながっていれば十分です。
無理に、頭とお腹や、頭と足をくっつけなくても良いのです。体の柔らかい人なら無理はないかも知れませんが。
ただ大切なことは、理由なく気が合わない人に会った時に、毛嫌いしたり、攻撃したりするのではなく、神に祈ることが大切です。
私のように、キリスト大好きな伝道者が、キリスト教を「邪教」と呼ぶある宗教に入っている人に伝道をした時に、とても険悪な雰囲気になりました。
キリスト教の間違いを指摘し、それを否定するという「折伏」が自らの「徳を積む」ことになり、「良い事をした」のであり、「報いが得られる」と考えているのですから、その攻撃力は凄まじいものです。
私から見たら、その人は「悪魔の間違った考え方に支配されている人」と映りますので、火花が飛ぶわけです。
しかし、私が相手を論破しても、相手は納得しないばかりか、ますます激情し、「地獄に堕ちるぞ!」と吐き捨てて離れて行きました。
私は、「残念ですね。神様がいつの日にかあなたに本当のことが理解できるようにしてくださいますように」と言って、見送りました。
神に祈らなかったら、肉と肉の戦いとなり、無益な争いにしかなりません。
こちらの主張は取り下げませんが、大切なことは、祈りながら、相手のペースに乗らないで、相手を祝福し、愛する心を失わないで語ることです。
私は、平和主義ですが、売られた喧嘩は買ってしまいやすい性質を持っています。
その性質が、肉の争いではなく、霊の戦いに向けられるようにと祈っています。
このメッセージを読んでくださる方々の中には、いろいろなタイプの方がいらっしゃると思います。
どのタイプが良くて、どのタイプが悪いのではありません。
みんな違って、みんな素晴らしいのです。
しかし、水同士、油同士の相手ばかりではありません。水と油の相手と出会った時に、神に祈ると、水と油の間に神が入ってくださり、神が最善に働かせてくださると信じます。
あなたの水と油の人間関係の中に神の助けがあり、祝福がありますようにお祈りをいたします。
ログインしてコメントを確認・投稿する