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2021年07月12日12:05

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7月12日 本日の一言メッセージ

ぴかぴか(新しい)〈7/12(月)本日の一言メッセージ+動画+α〉

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22155 (写真入り記事)

❣「神前意識と敵前意識を持とう!」

かつて私たちは、罪の奴隷であり、悪魔に奴隷とされて縛られ、苦しめられて来ました。

悪魔は、どんな人であってもその人を喜んで手放しで去らせることはしません。

イエス様を信じて解放された後も、悪魔は常に隙を伺い、吠え猛る獅子のように食い尽くすべきものを求めて歩き回っています。

私たちはこの世のものではありませんが、この世に遣わされて生きています。ここは敵地なのです。狼の中にいる羊のようです。鳩のように素直に、蛇のように聡くなければなりません。

絶えず神に祈り、神の言葉である聖書を片時も離してはなりません。神の御前にいる事実と共に、敵の目の前にいることを忘れてはいけません。戦場を歩いているようなものなのです。どこに伏兵が潜んでいるのかわかりません。

世界で一番人間の命を奪っている生き物は蚊であると言われます。蚊はその土地に住む人よりも旅人や他の地域に住む人をよく刺すと言われます。絶えず目を覚ましていなければいけません。

罪と戦い、悪魔に付け入る隙を与えず、絶えず神を意識しながら今日も歩んでいきましょう。この方と共に歩むならば、何も恐れるものはありません。試練が来ようとも、貧の道を歩もうとも、富の道を歩もうとも主が共におられるならば、守られ、必要は満たされ、罪に陥ったり、悪魔があなたに触れることはできません。


🧡【動画メッセージ】
「心疲れた時、聞こえてくる」
https://youtu.be/71htpXqSASs


ハート(紫)【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/hznutJ3LNBI (朝礼拝)


ハート【北千住駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/Y-G4XtnWLXQ (側面)
https://youtu.be/y4IpDoZSLuk (正面)


ハート(黄)【四十代最後のメッセージ】
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


ハート(青)【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/6Lli2UxiCwk(説教�◆�


ハート(緑)【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


ハート(矢)「編集後記的メッセージ 『この世と妥協しないで、義に生きたいと願い、祈ろう!』」

単に世の中の政治に限らず、民主主義が良いか、独裁主義が良いか、どちらが良いかの答えは簡単には出ません。

聖書は、「民主主義が良い」と教えている訳ではありません。しかし、民主主義が1番理想に近いと一般に考えられています。

民主主義が良い場合は、民衆の民度が高い場合です。

しかし、そこに限界があるのでしょうか。世界では、民主主義国が少数派に転じていると言われています。

民主主義国や地域が87カ国。対して、非民主主義国は92カ国であると言うのです。

もし、優れたリーダーが現れ、そのリーダーが治めたら、非民主主義国がうまくいく場合もあります。

しかし、理想的であったとしても、独裁主義がうまくいった実例をあまり見い出すことは出来ません。

リーダーであったとしても、その人は罪人であり、自己中心だからです。

自分が生き残るために、人を犠牲にし、人を踏み台にして、自分が利益を得ようとしてしまうからです。

仮に、イエス様がリーダーとなられたら、100%うまく行くはずです。この上ありません。罪がなく、公正であり、平等であり、人々を生かすためにご自分が命を犠牲にしてくださるからです。

しかし、事態はそう簡単ではありません。

前述のように、完全なリーダーがいないために、非民主主義、独裁がうまくいきません。

これらが前提として、民主主義が理想とされていますが、その弊害は、間違ったことでも多数決で決められてしまうことにあります。

昔も今も、聖書が語る理想が否決され、少数派に転落している事実を見逃してはいけません。

神は、ノアの時代に洪水で裁きを下されました。また、罪に満ちたソドムとゴモラの町を裁かれました。

民主主義が正しく機能していない結果、神の裁きが下りました。

そして、イエス様を十字架につけた時の民衆の反応は、声をそろえて「除け、除け、十字架につけよ!」というものでした。

今の時代、聖書に反する価値観が民主主義国からも、そして、神を否定する非民主主義国の中からも台頭しています。

クリスチャンであっても、この世の中の力が膨大で強いため、世論を気にして聖書をまっすぐに語れなくなっています。

「私が聖書の時代に生きていたら、神に従い通すことができたのに」と真剣に語った人がいますが、その人は灯台下暗しで、目の前の現実に飲み込まれています。

そしてさらに、「裁いてはいけない」という聖書の言葉を盾に、世と妥協しているのです。

聖書が「裁いてはいけない」と語るのは、裁いてはいけない領域に関してです。

神が黒白をはっきりと付けて、罪と断じることは、裁かなくてはいけないのです。

ある時、ある場所のクリスチャンの集まりで、こんなことが起こりました。

空気が読めない人が断罪され、不倫が罪であると知りながら止めない人に対して、「個人のプライバシーの領域だから、とやかく言うことはできませんね」と言ったのです。

確かに、空気を読めない人は、その場の空気を壊しますし、嫌われますが、神の目から見たら、思ったことは伝えても、裁くべき案件ではありません。

しかし、その同じ人が、明確に罪の中にいる人を裁けなかったのです。

罪の性質は、神と反する価値観を持ち、神と違う判断をし、行動をしてしまいます。

その状態から、神と同じ価値観を持ち、神と同じ判断をし、行動をする義の性質に立ち返り、悔い改めたいものです。

確かに波風は立つでしょう。しかし、神がまず自分自身を赦してくださったという感謝と謙遜さを保って、神の愛の心でこの世と妥協しない生き方を選び取っていきたいものです。

それには、祈って神の助けを受ける必要があります。

「神様、私を助けてくださり、神が願っておられる価値観を持ち、判断をし、行動を取れますように助けてください。アーメン」。
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