
〈7/10(土)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22153 (写真入り記事)
❣「主の訓練を素直に受けよう」
ゴスペルソングに「もう振り向かない」という曲があります。その一節に「もうつぶやかない」という歌詞があります。
若い人にとっては、「つぶやく」と聞くと、SNSの「Twitter」を思い出すかも知れませんが、「ツイート」のことではなく、「不平不満」「文句」であり、感謝の逆の状態です。
苦しみ・試練・患難をのろい、神が与えられるムチに対して、「なぜ私はこんなに苦しまなければならないのだろう? どんな悪いことをしたので罰を受けなければならないのか?」とつぶやくのです。
これは神の最善の知恵によるものなのに、それに対して不平不満を言うことは正しいのでしょうか。
もし、神が私たちの罪に従って裁くとしたら、イエス様が十字架で背負われた罰を受けなければならないのです。
火で金を精錬するように、神は私たちをきよめ、反抗的な態度を悔い改めて、従順にさせようとしてくださっているのです。
「そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである』。訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」(ヘブル人への手紙12章5〜11節)。
苦しみ・試練・患難は、神の愛による訓練なのです。
それに対してつぶやき、不平不満を言うのではなく、神のしつけと矯正を素直に受けたいものです。
それが訓練となり、やがて「平安な義の実」を結ばせてくれるのです。
🧡【動画メッセージ】
「物事の判断の基準」
https://youtu.be/KdP6AV3LXtE

【越谷駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/q-dUIaJdbDY (寄り)
https://youtu.be/o0mAPbzpGGI (引き)

【四十代最後のメッセージ】
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM

【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/6m2dGketg1Q

【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/u3YkZuvDk6o (説教�ぁ�

【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY

「編集後記的メッセージ 『私たちが経験する痛みの意味』」
3年前の西日本豪雨で甚大な被害が出た記憶は、当事者以外の多くの方の中から風化しつつあるのではないかと思います。
しかし、集中豪雨によって熱海の伊豆山で起こった土石流のニュースを通して、そういえば、何年か前にも水害が起こったと思い出した方も多いのではないかと思います。
2020年から新型コロナウイルスのパンデミックが起こり、その現実があまりにも大きかったため、それ以前のことを忘れさせてしまったのでしょう。
私たちは、過去の出来事を過去として過ぎ去らせてしまうのではなく、それを教訓としてしっかりと心に記憶したいと思います。
私たちが住む日本は、世界的に見て災害大国なのです。今までもそうでしたが、これからは、今まで以上に多くの災害が起こる可能性があります。
「地震雷火事親父」に備え、早めの避難行動を取るなど、しっかりと役に立てたいものです。
昨年7月には、九州北部で梅雨前線が停滞し、線状降水帯が発生し、球磨川の24時間雨量が最大700ミリくらいに及び、熊本県人吉市では、最高水位が2メートル以上超えて溢れ出て、球磨村や八代市でも大きな被害が起こりました。
今年も、九州において、線状降水帯が発生し、熊本、宮崎、鹿児島の三県に「大雨特別警報」が出されています。共に、神の守りを祈りたいと思います。
そして、過去の水害の教訓を生かして、早めに、いのちを守る行動を取ってほしいと思います。
人は同じ過ちや失敗を繰り返しやすい弱い存在です。しかし、失敗し、痛い思いをしたならば、それを教訓として、今を含む未来に役立てたいと思います。
昨日は、イエス様が十字架を背負わされる前に、「苦いぶどう酒」を渡されて、味見をしましたが、それが何であるかがわかったので、それを拒否された出来事に触れました。
イエス様は、十字架の痛みを薄めることなく一身に引き受けてくださいました。
人が受ける痛みは大切なのです。その痛みが、教訓となり、失敗を繰り返さないように成長させてくれるからです。
痛みは神様からのメッセージなのです。
痛みを悪いものと毛嫌いするのではなく、しっかりと教訓としたいものです。そうしたら、失敗を含めて、私たちが味わう痛みは大きな祝福になるのです。
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