mixiユーザー(id:17713252)

2021年06月19日12:22

35 view

6月19日 本日の一言メッセージ

クラクラ 〈6/19(土)本日の一言メッセージ+動画+α〉

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22131 (写真入り記事)

❣「時が良くても悪くても」

聖書は、どんな時にも変わらない生き方をすすめます。

例えば、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい」(テモテへの手紙 第二 4章2〜5節)です。

牧師になる前は、みことばを伝えるのに悪い時があるとは想像もしていませんでした。聖霊に満たされて、力と愛に満ちているなら、いつでもみことばを伝えるのに良い時だと思っていました。

しかし、そうではないことがあることを知りました。

すぐこの後に、多くの聴衆の前に立って聖書を語る予定なのに、最悪な気分になるようなことがあるのです。

伝道をする時に、とても笑顔で伝道できない状況の時もあります。

だからこそ、「時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」という聖句に支えられ、励まされています。

さらに、「寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」と聖書は語ります。

寛容を尽くしながらも、絶えず教え、責め、戒め、勧めるということは、優しいことではありません。

教え、責め、戒め、勧めることで、人間関係が壊れることもあり得るからです。

その結果、関係が壊れたとしても、それは仕方がないことであり、不思議と神から来る喜びと平安があります。

牧師は、孤独な仕事です。

「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです」とあるように、愛を持って聖書を真っ直ぐに語る牧師よりも、自分に都合の良いことを言ってくれる牧師を探し求め、真理から耳を背ける人が必ずいるからです。

教会を定めず、転々とする人もいます。

それは自由なようで、実は、自分の居場所がなくて寂しいあり方ではないかと思います。

聖書を真っ直ぐに語る時に、その人が神を求めて神に仕えて生きているのか、神を利用して自分の利益に仕えて生きているのかがはっきり見えます。

寛容を尽くして導くのは人間業ではありません。

聖書は、「あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい」と語ります。

私は、今日の話しを、牧師だけの話しではなく、すべての人に適用されるべき話だと思います。

理想と現実のギャップに直面した時、理想を追求したらどうなるでしょう。

結婚関係において、理想と現実のギャップにぶつかる人がほとんどではないかと思います。

その時、理想を追求しながらも、現実を受け入れなくてはいけません。そうでなければ、関係が破綻し、離婚せざるを得なくなるからです。

どんな状況の中にあっても、理想を手放してはいけません。しかし、現実を受け入れなくてはいけません。

その緊張関係の中で生きていくのが、私たちのあるべき姿です。

「寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」と、理想を追い求めながらも、現実を受け入れ、許し、愛していきましょう。

理想を捨てたら、自己満足の世界に入り、成長は止まります。

神様は、私たちを愛しています。今のままの状態を許して下さっています。しかし、同時に、私たちが成長することを願っておられます。

時が良くても悪くても、神が命じ、導かれる人生を追い求めながらも歩んでいきましょう。

しかし、同時に、「それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです」(ピリピ人への手紙 3章16節)とあるように、現実を受け止め、受け入れる寛容さを忘れてはいけません。

時が良くても悪くても、素敵な人生を生きて参りましょう。


🧡【動画メッセージ】
「試練に会ったら喜ぼう」
https://youtu.be/XJiduHDQO8g


ハート(緑)【6/18(金)市川駅前 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/o47rqP8Iffk (右方)
https://youtu.be/1rcOrR4QC-w (左方)

ハート(紫)【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bRinP0k2hLs


ハート(青)【ジーザス・ジューン・フェスティバル2021】
https://youtu.be/ZxyV6DHV5jM


ハート(黄)【クリスチャン防災士ネットワーク ニュース】
https://youtu.be/FM49Eq8mJ3U


ハート(矢)「編集後記的メッセージ 『事実と解釈を切り分けよ』」

劣等感の強い人は、その人の問題点を指摘したり、注意すると、自分自身が拒絶されたと考え、腹を立てたり、憤慨したり、逆ギレしたり、パニックになってしまうことがあります。

事実と解釈を切り分けていないからです。

問題点を指摘され、注意されても、だからと言って自分の存在価値が下がってしまうことはないのです。その点を改め、直し、改善していけば良いのです。

つまり、Doingの価値とBeingの価値を混同しているのです。

自分をほめてくれる人、イエスマンだけを身近に置きたがるのです。

もちろん、重箱の隅を突くような人とは誰も一緒に居たくはならないと思いますが、愛し、真剣に思うならば、「寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」ということが必要になります。

信頼関係ができているならば、厳しい言葉も届くことがありますが、信頼関係が完全に築かれていなくても、教え、責め、戒め、勧める必要があることはいくらでもあります。

現代の風潮には、躓いた者勝ちみたいな価値観があります。それが教会の中にも忍び込んでいます。

警察は、110番通報が入ると、それが正しい通報なのかどうかをしっかり判断しない場合があります。

路傍伝道で、法律に触れることをしていないのに、「110番で苦情が入ったので退去してください」と言われたことがあります。「おまわりさん、しっかり法律に基づいて対処してください」と言ったことで、潮が引くように帰っていかれました。

しかし、反対に、しっかり対処しなければいけないのに、ストーカーやDV被害を訴えているのに、適切に対処しないで、事件に発展してしまうことも数多く起こっています。

さて、「躓いた」「傷ついた」と言われたら、おろおろし、躓かせ、傷つけた人が悪者にされるという風潮は考えた方が良いと思います。

事実と解釈を混同しているがゆえに、躓き、傷ついているという事例も数多くあると思います。

躓き、傷つく方に問題がある場合もあるのではないかと思います。

交通弱者と強者の関係の中で、弱者を優先することは当たり前ですが、それを盾に取って、わざと車の前に飛び出したり、横断歩道をわざとゆっくり渡ったりするのではなく、譲り合いの精神を持って、譲ってもらっても「当然」と思うのではなく、「ありがとうございました」と会釈をし、足早に渡っても良い訳です。

スーパーで、車いすマークのついたスペースに乗用車が止まっていたことに腹を立てた車いすの人が、レジのところに列ができているのに、大声で怒鳴り散らして、「あそこに車をとめた奴を呼び出せ!」と、権利を主張している人の醜い姿を見て、優遇されるのが当たり前で、当然の権利だと勘違いしているなと、心を痛めました。

もちろん、それは正当な権利ですが、「当たり前だ!」と権利の主張をするのではなく、「申し訳ない」「ありがとう」という心を持っていただけたら美しいし、共生できるのになと感じたりもします。

話をまとめますと、事実は、「あなたは神によって造られ、神によって生かされ、神に愛されている高価で尊い人」です。そのような確かなアイデンティティーを持ち、セルフイメージを抱くならば、対等なのですから、卑屈になったり、逆切れしたり、必要以上の権利の主張をしなくても良いのです。

「自分は劣っている、ダメな存在だ」と考え、解釈しないでください。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ」(イザヤ43:4)。

幸せな人生を送ってください。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年06月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930