
〈5/5(水・こどもの日)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22085 (写真入り記事)
❣ 「こどもの日。感謝をささげよう」
今日は「こどもの日」です。
「こどもの日」は、国民の祝日の1つで、「こどもの人格を重んじこどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」として、1948年に制定されました。
中学生頃までは、「こどもの日」に該当すると感じましたが、それ以降は、あまり関係ないと感じるようになりました。
大人となり、こどもの父親になりましたが、同時に、自分の親から見たら今もこどもです。
さらに、神様から見たら、「神のこども」です。
聖書は、「すべての人が神によって創造された」と語ります。
「天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです」(コロサイ1章16節)。
聖書は、すべての人が「神のこども」ではなく、新しく生まれた人が「神のこども」であると教えます。聖句を引用します。
「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである」(ヨハネの福音書1章12節〜13節)。
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます」(ローマ8章14節〜16節)。
次に聖書は、救われる前の私たちは、「生まれながら御怒りを受けるべき子である」と教えます。
「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした」(コロサイ2章3節)。
人は、生まれながらにして「神の怒りの対象」であるという意味です。恐ろしい「悪いニュース」です。
しかし、同時に「良いニュース」があります。
その神の怒りは、イエス・キリストが身代わりに引き受けて十字架で死なれたのです。
「キリストの十字架と復活が私のためであった」と信じる人は誰でも、「怒りの子」から「神のこども」に変わります。
キリストの救いを受け入れるならば、大人であっても、あなたも「神のこども」です。
信仰とは、神が「天のお父さん」で、私が「神のこども」であるという関係で生きることを指します。
「宗教」とは、人が神や救いに到達する努力です。
しかし、「信仰」は、神が私たちに与えられた救いを受け入れ、神と私の親子の関係で生きる生き方です。
今日の「こどもの日」は、こどものための祝日が、「神のこども」とされた人も「神のこどもの日」として、自分のためにあると考えたらどうでしょうか。
「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである」(ヨハネの福音書1章12節〜13節)。
「神のこども」は、世界中に20億人以上います。実に、地球上の全人口の3人に1人です。
日本でも100万人くらいいます。
ある人は、「日本には日本の宗教がありますから」と言います。
しかし、クリスチャンになるということは、外国の宗教に入ることではなく、自分を造られた神と親子の関係で生きることです。日本人、韓国人、中国人などのアジア人、欧米人、アフリカ人などとは関係ありません。
「こどもの日」とは、「こどもの人格を重んじこどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」でもあります。
あなたを造られた神は、「神のこども」であるあなたの人格を重んじ、幸福を願っておられる方です。
あなたの両親を敬い、創造者である神に感謝をささげましょう。
🧡【動画メッセージ】
「笑顔の効果」
https://youtu.be/grtYoRcXOg8

【新宿福興教会 オンライン礼拝】〈夕方〉
https://youtu.be/7Zxq8Du6bFo

【川口駅 路傍伝道】(facebook)
https://www.facebook.com/100001612036760/posts/4329854917078200/?d=n (中盤)
※「こどもの日」の「コドモ」は、最近では、「子ども」と表記されることが多く見られます。実際にあるアンケートの結果を見ても一目瞭然です。「子ども」と書く人が63.3%、「子供」が25.4%、「こども」が5.4%、「特に意識していない」が6%です。「こどもの日」の「こども」は1番少数派です。しかし、昨日の「みどりの日」と並べてみると、これはこれで良いですね。ところで、PTA役員をすると「コドモ」をどう表記するかが必ず話題になります。そんなのどうでもいいんじゃないかと思わなかったわけではないですが、それが大きな問題となり得ることを痛感しました。本当は、どちらが正解というのはないのですが、「女子供」というように、「付き従う者」という感じが好ましくないとか、「子ども」とした方が柔らかい感じになるなど、人権やイメージというのは現代においては大切なのでしょう。例えば、東京五輪組織委の森会長、女性蔑視発言問題で辞任に追い込まれたことは記憶に新しいと思いますが、言葉一つだけの問題ではないですが、そういう出処進退にまで発展しかねないような問題となり得ます。しかし、本質的に考えたら、それは文字や言葉だけの問題ではなく、目に見えない心のあり方が問われます。「人」という字は、長い棒と短い棒が重なって「人」という字になっているように、神と人が正しい関係を持つこと。そこに人間のあるべき姿があり、健全な精神が宿るものです。もちろん、人は一瞬にして変われません。もっと正確に言えば、変わったようで、揺れ戻しがあり、かえって悪くなることもあります。人格は一朝一夕にして形成されるのではなく、時間がかかって形成されます。同時に、「木は実によって知られる」と聖書が語るように、神と共に歩むならば、必ず人格は変えられていき、良い実を結ぶようになります。そして、誤魔化しようのない事実として、人はどんな実を結ぶかでその人そのものが計られるものです。今日、神の子どもとして、神との関係を和解させてくださったイエス様を通して、確かな関係を深めていきたいですね。人は未熟なゆえに失敗することもあり得ますが、敗者復活は必ずできます。セカンドチャンスはいくらでも与えらます。神と共に、歩んでいきましょう。素敵な1日でありますように。
ログインしてコメントを確認・投稿する