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2021年04月18日08:17

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4月18日 本日の一言メッセージ

クラクラ 〈4/18(日)本日の一言メッセージ〉
「人を注意する時に大切なこと」+動画+α

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22066 (写真入り記事)

時々、人を注意して指導しなければならなくなる立場に立たされることがあります。

それが子ども相手ならいざ知らず、大の大人が相手ならつらいものです。

どんな人でも、人から注意されたり、批判されることはうれしくないからです。

この時、「私は正しい!」「あなたは間違っている!」というスタンスで注意するとしたらどうでしょうか? 

キツイ対応になります。

もちろん、言うべきことは言わなければなりませんが、少なくても、上から目線で物を言うというのは、相手が素直に受け止められない可能性が高くなります。

「私は正しい!」「あなたは間違っている!」というスタンスは、自分のことを棚に上げなければできることではありません。

誰もが失敗をした経験がありますし、人から注意されて、わかっているけれど、素直に「ごめんなさい」「わかりました」「教えて下さってありがとうございます」などと言えなかった経験があるはずです。

それを思い起こしながら語ることが大切です。

「私も同じような失敗をするし、弱さを持っているけれど、あえて言わせて頂きたい」というスタンスで語るのです。

上から目線にはなり得ません。謙ったスタンスであり、同じ目線です。

しかし、そうやって注意したとしても、必ずこちらの真意が伝わるかと言えば、そうではありません。

プライドが高く自信のない人、ナルシストで過剰な自己愛を持った人などはは、真っ赤な顔をして逆切れすることも考えられます。

そういうリスクを犯してでも、嫌われることを恐れずに言わなければならない時があります。

極めつけは、相手の幸せや祝福を願いながら注意することです。

聖書は、「互いの重荷を負い合いなさい」と語ります。

「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。おのおの自分の行ないをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです」(ガラテヤ6章1節〜5節)。

自分を棚に上げないで言うことはつらいです。

通常、そこまで考えたら言えなくなってしまうからです。

それでもあえて言うとしたら、相手への愛です。

そのように、互いに重荷を負い合って、より良い社会を目指していきたいですね。

私は、イエス様の愛を思い出します。

イエス様は、罪のないお方であるだけではなく、罪を知らないお方です。この方が私の罪を身代わりに背負って十字架で死なれました。

そして、私たちを責めることなく、赦し、愛し、受け入れて下さいました。

人を注意する前に、この方の愛を体験し、祈りながら言わせて頂くことが、最も相手にとって益になる言葉ではないかと思います。



【動畫メッセージ】
「祝福された結婚」
https://youtu.be/LGVSKOrTR-Y



【新越谷駅・南越谷駅 路傍伝道】
https://youtu.be/Mm5PJPcaxsg (正面)
https://youtu.be/OFLOUC6l-fQ (左横)



ハート(緑)「ジャパン・ハーベスト(宣教団体)」の支援会々員を募集しています。お祈り、ご参加をよろしくお願いします。
https://japan-harvest.org



※昨日は、たくさんの方から「『罪の力』と書くべきところを『妻の力』となっていました」とご指摘をいただきました。ありがとうございます。
携帯で文章を作成しているために、パソコンよりも小さな画面であるため、誤変換に気づかないことがあります。加えて目の疲れと、気の緩みなどが重なって、一度は読み返しているはずですが、気づかなかったと言うのが正直なところです。
車の運転をしていて、「信号を見落としました」「標識を見誤りました」「歩行者が見えませんでした」などで大きな事故を起こしてしまった後で言い訳をする訳にはいきません。文字の誤変換は人命に関わらないにしても、間違いのないようにしたいものです。
今日の一言メッセージは、「人を注意をする時に大切なこと」ですが、人はどこかで、何かの点で失敗し、間違いを犯しているものです。その体験を忘れないで、自分を棚に上げないで、人と関わることができたら、失敗は繰り返してはいけないのですが、その失敗は祝福に変わります。「お互い様」で済むものは「お互い様」で済ませたいものです。しかし、足を踏んだ側は踏んだことを忘れても、足を踏まれた側は踏まれたことをいつまでも忘れないという現実があることも心得たいものです。「受けた恩は石に刻み、かけた情けは水に刻む」ように、人にしてしまったこと、そして、人からしていただいたことを忘れず、自分がしたことはさっさと忘れてしまうくらいでちょうどいいのかもしれません。
互いに重荷を負い合いながら生きていきたいですね。毎日ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。素敵な一日でありますように。
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