祖父の與一郎が奉公に出たのは、小学4年生を終えたときだという。10歳の
子供が故郷や父母の許を離れて、よそのお宅に住み込み仕事をする立場だ。
朝のドラマの「おちよちゃん」が芝居茶屋に奉公に出た姿に重なります。奉公の
年季が直ぐに明けるわけでなく、同じ年の子供が学校に通うのを横目で見つつ、
毎日暮らして居たろうと想像します。
Google Mapで 清水市入江町1丁目の地図を検索してみました。巴川に掛かる稚児橋
は橋の欄干の上に稚児の像があり、判り易い。端から延びる県道75号が町を貫いている
道路の南側に、巴川に近い方から、長澤内科医院、その隣が空き地で無人の有料駐車場に
なっています。この辺がかつての奉公先のお茶わん屋だったと思われます。この道路に沿って、かつてのお店が並んでいた頃の様子はありませんね。食堂や寿司や理容店のお店もありますが、住宅やアパートや駐車場に代わっていますね。江戸時代は東海道、現在は県道75号ですが、昨今は大きな道路がいくつも出来て、交通量もそれ程大きくはなさそう
で、交通事故多発の場所とは異なるようです。
奉公先のお茶碗屋には、與一郎より一つ年上の「誠ちゃま」という子が居たらしい。
その子は学校に通っていたが、学業は芳しくなかったようで、宿題も捗らないので與一郎
が教科書を見て「ここはこうなんじゃないですか」「與一郎お前は学校にも行ってないのに良くわかるな」などということもあったようだ。
與一郎の年季が明けたのが24歳の時で、都合14年間の奉公だったようだ。曽祖父の
桂次郎が体力の衰えを感じて、呼び寄せたものだろう。明治37年の4月の目録が残る。
目録 一、金百円也
一、被服 十七点 見積 金五拾円也
右の者 拾ケ年間誠実に勤務候につき 慰労として給付候也
安倍郡入江町参拾七番地
明治37年4月 〇 治作
桂次郎も明治38年5月に、與一郎に商売(薪炭商)を任せるために元手資本として、
金参拾七円(町内積立金)・金八拾円を譲渡して、53歳で現役を退くことになった。
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