mixiのコミュで、社会の問題について考える機会があり、「流れ」の観点で考えてみました。そこで書いた内容です。
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よく使う「流れ」と「調和」という言葉の意味と考え方についてはこちらに書いています↓
【リーディングで学んだこと】流れは自分の心の在り方次第 〜流れと調和
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1973615570&owner_id=65478440
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国の状態はその国の人々の意識を総合した結果。
問題が起こるということは、調和していないということ。
調和していないのは、
感謝が薄れていること = 相手に責任や負担を強いる形になっていること
が、原因だと考えられます。
何かを受け取るのなら、相応の感謝がなければ調和が崩れます。
その対象が自然であれば環境問題となり、社会であれば社会問題となります。
【権限と責任は2つで1つ】です。自分の流れの権限は本来自分自身にあります。
自分の状況を誰かのせいにすれば、その相手に責任を負わせて、自分の流れの権限を失うことになってしまいます。
そうなると、相手が自分に責任があると認めて行動しない限り、その物事は動かないままになります。
「全ては自分の選択した結果だ」と自分自身に対する責任を認めて受け入れると、責任と一対である権限を取り戻せます。そのうえで、自分自身のために出来ることを考え、行動すると、フルに流れの権限を行使することが出来ます。
調和した在り方で自分の流れの権限を行使する人は、望む流れを創り出せます。
全ての存在がそれぞれの流れを持っています。
自分の流れのために外部の流れの力を借りるなら、相応の対価・感謝がなければ、相手の流れを消耗させることになります。
他者の流れを奪う在り方になると、調和から外れていきます。
(リーディングをしていて感じたことなのですが、心からの感謝はエネルギー的には与えることと同じようです。少し話がそれますが、こう書いていて、「祭り」は、自然・神から受け取った流れを感謝で返し、自分たちのために消耗させた流れを補うためにあるのだなあと思いました。)
感謝がないということは、
してもらうことが当然 = 自分の流れに対する責任を他者に負わせている = 自分の流れの権限を手放している
ということでもあります。
自分を "助けられるべき" 立場の弱い被害者のように見てしまうのも同じことです。
自分の流れの権限を手放し、周囲に "自分を助ける責任" を負わせ、助けを得られなければ周囲を「加害者」にしてしまうからです。
それは感謝のない、他者の流れを自分のために使わせようとする奪う在り方。
周囲の人は助けたいと思えなくなり、ますます自分を被害者・周りを加害者にする貧しい在り方になっていきます。
社会を作っているのは一人ひとりの意識であり、
自分の流れの責任を転嫁し合っていたり、
感謝を忘れて、与えるより多くを受け取ることを望んでしまっているところがあるために、調和が崩れて、問題が起こるのだと思います。
ネガティブな感情を向ければ、ネガティブなものが返ってきます。
国や社会を「悪い」「良くならない」と決めつければ、国や社会を悪くする流れを促すことにはなってもプラスにはなりません。
「良い方向へ向かっている調整期間」と捉える方が、国や社会のために頑張っている人を応援する建設的な流れを促せるので、良いと思います。
一人ひとりが自分の流れの責任=権限を自分で持ち、受け取ることへの感謝を忘れない(そして、気持ち良く与えて周りを支える)、調和をもたらす在り方であれば、社会も調和したものになっていき、問題も解消に向かっていくのではないかと思います。
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