HImaPひまぴー渡部学
2021年1月10日 日曜日
10:35〜
何度か言ってるけど、届くとか手に入れるって素晴らしい。
皆さんは感じた事があるのかな?
当たり前になりそれを考えることはなく、当たり前の権利として生きてると思うんだ。
例えば、収入を得られる。収入を得られる内容を与えてもらえる。その収入で飲食をする。その飲食を作る人達やその材料や色々な内容が辿ればある。
当たり前の循環。
渡部学は想像の域で真実の循環や変換をイメージだけで回想した。
自分自身のお金で、自分自身の欲しいものを買う。
それは自分自身で自由意思で決めて購入して自分自身で手に入れてる。
それ以上でもそれ以下でもないんだけどね。
それがプレゼントだと思う時がある。
自分自身の金がその時ある。自分自身の意思がそれを欲しがる、自分自身の欲しいものを手に入れる(飲食も含む)。
その当たり前がプレゼントだと感じる事は少ない。
だけどね。妄想癖の話に突入すると
自由意思だけど、その意思や意識になる理由。
人々を操る何かあるとしたら
自分自身で手に入れるものを自分自身で制限してしまう。色々な理由で。
金がないとか、欲しいとは思わないとか
それは逆に善い時もある。
でも、手に入る贅沢ってのは、生活のレベルってのは全てプレゼントなんだと感じてしまう。
上手く説明しにくいな。
人々の意識を操る何かがあるとして
渡部学の場合は、自分自身に買うお金を所持してて、コカ・コーラを買う。
自分自身で手に入れてる。だけど、手に入れてる金も、コカ・コーラもプレゼントだと感じる。
自分自身へのご褒美とも言えるけど。
例えば 自分自身がお金がなければ買う事も我慢、お金が所持して買えるとしてもコカ・コーラを飲みたいと思わなければ手に入れることはない。
コカ・コーラが飲みたいと思う、思わないの善い悪いは判断が難しい。
飲みたいと思わないのは善い事かもしれないし。人間の味覚や嗜好品として飲食ができる幸せの方が善いとも言える。
変換や意識の謎がそこにある。だが、この話は上手く説明というか、説明しても全ての在り方が否定してしまう。その話はわからないのでしない。
話それたので戻すと
そもそも、意識や感覚の思うまま、所持できてる金で交換できるもの全てが与えられてるものと感じる。
渡部学はさらに妄想なんだけどね。
欲しいと思うのは渡部学自身本人の意思なんだけど、半分は違ってさ。
そして、手に入れてるものってのは自分自身や家族を通してても、何か目に見えない素晴らしい繋がりで手に入れてるような感覚に陥る。
たまに、渡部学の場合は飲み物が主になんだけど、自分自身でスーパーで安売りの箱買いするんだけど
買ってから、こんなに…凄いなって冷静になると感じるくらい手に入れてる。
もちろん、自分自身の所持してるお金でね。家族が払って手に入れてるものもある。
それが全て自分自身の所持できてる金も手に入れたものも、目に見えない繋がりの恩恵で手に入れてると、プレゼントなんだと感じる。
自分自身の金で自分自身で手に入れてるのにプレゼントではないだろ?
自分自身のご褒美ではあるかもしれないけど。っていう人達もいる。
運命や宿命の話に結びつけると壮大過ぎるけど、説明するとそれに近い。
当たり前にある幸せは当たり前ではなくて、自分自身一人で手に入れてるわけでなくて
そう考えると命も人生も全てなんだけど。
細かい事も全て感謝と誰かからのプレゼントに感じる。
そう思った。ちなみにそう感じたのは
最近、透析生活で水分量制限がある俺だけど、案外思う分だけ、抑制はあるけど飲めてる。
そして、炭酸飲料やジュースを飲むのが至福だ。
今日は安売りで箱買いしたジュース。
自分自身で金は払ってるけど、その金が自分自身にあって、大量のジュースを目の当たりして、冷静になって買いすぎか?ってぐらいある。
でもそれに何か目に見えない恩恵を凄く感じたんだよ。
それ以外も多く恩恵は感じてる。言えば切りがないぐらい些細な生活の全てなんだ。
幸せってのは素晴らしい。
生きてるって素晴らしいけど、快適に生きれるってのが最高の恩恵だよね。
幸せの度合いをお金に換算したら渡部学は億万長者を通り越し、大富豪並みの幸せを手にしてる感覚なんだよ。
この安定感ある幸せな意識に感謝しかない。
終わり
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