金原明善(1832−1923)私財を投げ打ち天竜川の治水・治山・利水事業に生涯をささげ
「暴れ天竜」と呼ばれた川を恵みを生み出す川に変えました。明善は安間村(浜松市東区
安間町)の名主の長男として生まれました。当時は天竜川の川筋も定まらず、大雨の都度
流れを変えたりする有様でした。当時は堤防も低く川の水がすぐ乗り越えてしまう状況に
明善は川筋を遠州灘まで1本にする計画を作成して、国に提出しました。(明治5年)
許可を得ると、治河協力社を設立(明治7年)、本格的に改修を始めました。工事は当初
はオランダの、途中からはフランスの土木工事を技術を取り入れました。国からの補助金
が滞るようになると自分の全財産を国に納め、工事を再開しました。明治17年に改修工
事が国の直轄事業になると明善は工事に使っていた全ての機材や資料を国に引き渡しました。後に水源涵養林の必要性を知り、天竜川の上流の龍山村の官林に杉・檜292万本を献
植。金原治山治水財団を設立して、県の内外で指導して各地に広めました。天城御料林の
委託造林、県基本林の造成なども手がけました。明治37年(1904)長い間住民の悲願
であった三方原台地への給水事業にも挑戦して、金原疎水財団を設立して浜松北部の三
方原台地の農業や、住民への給水事業を完成させました。
私の母の生家が隣の町和田村で、金原姓でしたので何か縁があるのかもね。
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